しようがないか・・・。
O先生には、いつも、なんだか見てなさそうで、私という人間を、理解してくれているなあ、と感心させられる。以前、仕事をご一緒させていただいたときは、立場が違ったし、そんなに触れることが多い人、とも思ってなかったのだけれど、ただ、なんとなくくせのない、やりにくさの全然ない人だなあと思っていた。そして、再び仕事をご一緒することになって、私は彼の、ご自分でもそうおっしゃるが、ニュートラルなところが羨ましいし、そして彼は、私の信念を貫く、と言うところが羨ましいと言ってくださる。O先生は、すごーく若く見えるが、実は、私と、かなり差があると言っても、そうめちゃくちゃ年の差があるわけではない。
ところで、新人M先生。私の英語の先生でもある。
この人、すごい人だと思う。そのすごさは、私の指導のなかでまずわかってきた。きちんと見られている。どこが弱いか、どこが長所なのか。そして、常にどうすれば効率的に伸ばせるか?ということを、決して言葉多く語られはしないけれど、頭の中でしっかり構成されて、レッスンを進めていただいているのだ、ということが、今週の課題を勉強していてわかった。
もう一人、私と同じ生徒さんの英語を見ていただいているのだが、彼は、M先生の指導を受けて、なんだか瞬く間に変わってしまった。それは、私が指導している数学にも影響が出てきて、ちょっと、いえ大分驚いている。
一時、私は、真剣に落ち込んでしまった。M先生がどういう人かわからなくて。
指導中の気魄たるや恐ろしいものがある。そばで指導している私も私の生徒も、二人で仲良く勉強しているのだけれども、途中、ご自分の指導しておられる生徒への注意が、私たちに向けられているような気がして、生徒、「今の、俺に言われた気がするんですけど・・・。」「私もそんな気がする・・・。」
同じレベルでその気魄に押されている。彼はM先生と目が合うと怖い、と言うが、私、そんなん、目、なんて合わせられへんよ、怖くて・・・。
でも、私のレッスンは、たぶん私が優秀だからだと思うが(ウソウソ。年輩だからだと思う。)、そんなに、怖いというより、最初はおかしすぎて、笑ってしまった。が、最近、私も真剣になってきて、とてもそんな余裕はなくなってきた。あんまり課題をいい加減に扱っていると、そのうち怒られるのではないかとびくびくしている。
でも、普通にしておられると、まだまだ若い青年なのである。
しかし、心配りといい、その考えの深さといい、今まで見たことがないくらい、ちょっとかなりの上手である。ただ、勉強ができる、とか、学問をやってきた、なんてレベルじゃない。
私は、なんだか専売特許を取られた気はするは、今まで人にそんな思いしたことないような敗北感いっぱいになるは、なんだかおかしかった。で、シャッポを脱いだ。だって、考えたって、相手の方が深ければ、何を考えているかなんてわかるはずないし。若くても優秀な人もいる。人間的に優れた人もいる。読まれている感一杯で、ちょっと恐ろしいけど、でも、それでは胸を借りて、仕事をさせていただこう。人生における経験も、使命感や真摯さも、年齢に比例するとは限らない。では、櫻井先生、教育の世界でだけは、誰にも負けまい、と頑張ってきたけれど、負けたっていいじゃない、と思うことにした。実務レベルでも、変なところで(実務だけは私の方がまだましと違うかなあ?)、なんで?という部分で助けていただいた。
O先生だって、割とわかりやすい表現をしてくださるけれど、結構勝手に私という人間をしっかり観察していて、何を大事にしているか、しっかりわかってくださっているようだし。
第一、大体、私は勝ったの、負けたの、などという価値観はあまり好きではなく、いったいどこから敗北感など生まれてきたのかわからない。
周りの皆様から、いろいろ教わる気で生きてきたし、また、いろいろ教わっている。
何がすごいのかわからないところが、それ以上ではないことの証左であるから、もう、これ以上考えないことにする。
そして、これからは、自分に足りないところは、さっさと誰かの力を借りて、改善するなり、補っていただくなり、人を頼って生きてみようと思う。それでいいやん。ということにしたら、やっと楽になった。
実は、私は、どうしようもなくて、泣き出してしまったことがあったのである。八つ当たりできる人には、もう、それ以上、考えんとき、それで、いいんや、と言われた。
でも、いいやん。どうしようもないくらい、偉大な人が前にいるんだから。学ばせていただくことは、きっと満載だろう。ちょっとやけになりながら!珍しく嫉妬してたりして・・・。
英語の練習、頑張ろうっと!