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仕事の神様

  • Mayumi Sakurai
  • 2015年10月1日
  • 読了時間: 5分

 実は教室には、二つのフレームに入った写真が飾ってある。

 一つは、昨年、取材を受けた時の写真。もう一つは、仕事の面において、めちゃくちゃ尊敬している人が、楽しそうに笑って、そしておどけて写っている写真。

 職業は違うし、そんな人を目標にするのはおかしいのかもしれないが、私は、自分自身を叱咤激励するのに、この写真を使っている。

 仕事の神様、である。

 なぜ、仕事の神様かというと、時折、その人の仕事を垣間見るわけであるが、教育での自分の仕事のポリシーとちょっとよく似ていて、でも、たぶん私の方が妥協や、よく言えば協調もしつつ、頑固一筋にはできていないような気がして、何かに、励みになっていただいている。想像の域を越えないとは言うものの、大体において、人の生き方なんて、そうそう変わるものではなく・・・。昔、垣間見た、そしてその人から感じた、その人の生き方から想像し、また、実績をのぞかせていただいたことからの推測は、かなりの確率で、その人の仕事の内容のかなりの部分を言い当てているような気がする。

 昨年、教室とは全く関係のないところで、すごく落ち込んだことがあった。教室を開校してまもなくの頃、かつての同僚が亡くなったことを知った。その2年前にも一人亡くしていて、明らかに大学受験では、私なんかより、数的にも相当頑張っていた人たちだった。私が大学受験業界に入った頃、もうすでにベテランの域に達していた人たちだったから、そして、陰ながら応援し、張り合ってもいたから、なんやねん、私一人残して、富山県の大学受験はどうなるねん(話が大きすぎる?)!?と、無責任やろ!?とちょっとだけ年上の私は、怒った。そう、私にだけかっつけるわけ?しかも教室開いてすぐにだなんて、えらい人騒がせな話である。

 ショックかと言われれば、一人目のときは、知ったのは一年後で、それはそれはショックで、なかなか立ち直れなかったが、昨年のは、あまりにあっけなさ過ぎて、ショックが来ないことがショック、で、えーっ!?だった。

 どちらにしろ、あんたらはええよね、お姉さんに何もかもかっつけて、なんやねん!だった。別に私のことなんか考えているわけないけど。第一私一人にかっつけられてるわけでもない。

 しばらく苦しかった。しかも一年目の夏期講習まっただ中。生徒に、ちょっと今日はおとなしくしてくれない?と頼んでみたりする始末。気持ちだけは、もう、富山方面向きたくない。と、仕事の神様がご活躍の京都・大阪方面に気持ちを向けた。

 大きな建物の中を白衣を着て、忙しく働いている、仕事の神様の様子を想像して、もし、そういうことが彼に起こったらなんて言うのだろう?なんて考えてみたりして。それがなんやねん?俺らには、せなあかん大きな使命っちゅうもんがあるやろ。自分の気持ちに付き合ってられるだけ、まだ自分(大阪弁でよく、男性が二人称に使う言葉。)、暇やし、甘いなあ!とでもかっつけられそうやなあ。などと、昔そんなにしゃべったこともない人を相手に想像してみたりした。それだけを支えにしている間に、夏期講習は終わり、そして、秋の初め、京都に旅行した。そして、またそこで、春にその神様たちが、お集まりになり、大きな会を開かれるということで、またまた自分の小ささを知った。観光の私と学術会議。同じ場所でも、大体目的からして違った意味になってしまうのね。、

 残されたのなら、残されただけの意味があるのだろう。彼らがいなくなっても、私は、現実に、この社会で、教育の仕事に携わっている。仕事の神様は、それはそれは人の心に寄り添った、ただの事柄だけではない仕事をなさっているようである。

 教育も、教科指導だけで成り立つような簡単なものじゃない。

 生徒に雰囲気が似てる、と言われることがあり、あっ、ちょっとは使命感が近づいてきたかな?なんて、ちょっとだけ嬉しくなる。仕事なんて、自分のやってることに意味を見いだせなくなったら、こんなつまらないものはないだろう。人の役に立ってる、という実感があるから、楽しかったり、充実感があるわけで。

 一生、どうやったって仕事の神様の仕事には追いつけるわけでもないだろうけど、いなくなった連中の分まで頑張らなくちゃ。でないと、女が廃るって言うもんでしょう。笑

 生きているっていうことは大きい。生きていれば、たくさんの人の役に立つことができる。しかも教育なんて、一人育てておいたら、その後樹形図みたいにたくさんの人の役に立ってくれる。生きててこその物種だよなあ。

 先日ある人が言った。家族だけじゃなしに、あなたがもしいなくなったら、困ったり、淋しくなったりする人がどれだけたくさんいることか、よう、考えてみ。と。それだけ富山で、いろいろやってきたということなのだろうけど。富山での、特に高岡での教育や、それに派生したいろいろな仕事を、私は、続けなくてはならない。

 でもちょっぴり、仕事の神様のおかげで、学生時代を思い出したりして、京都や大阪にも、ほんのちょっとだけ意識が向かうようになった。煮詰まったとき、かつての同級生や先輩方なら、なんて言うだろう?と。梅田の駅の喧騒や、母校のある場所の雰囲気や、そして、大学の法学部の時計台を思い出しては勇気を奮い起こし、指導法やその他なんやらかんやらを考え出している。そばにいようがいまいが、こうして、ご本人が知りもしなくても、支えてくださっている人もいる。人間が一人生きているということは、なんと多くの人に支えられ、そして件の先生がおっしゃったように、自分もまた、知らないところで、人様のお役に立たせていただけているのかもしれない。

 
 
 

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