本当にすごいこと。
かつて、そう、八つ当たりできる先生とお話しして、この人すごい人だなあと思ったことがあります。
僕がここで仕事をしたり、あなたが学校で授業したりするのは、確かに気が張ることやよ。でも、毎日、食事を作ったり、洗濯したり、掃除したり、そういうことを、毎日続ける、というのは大変な仕事やと思う、とおっしゃったのです。いわゆるすごい仕事をしている人が、もっと言ったら、その仕事をしているというだけで、人より偉い、と思っても仕方がないくらいの仕事をされながら、家事をすごく評価されておられて、すごいなあと思ったのです。
単純な作業ほど、むしろその人の人格が顕れると思います。
朝、お味噌汁を作るときに、家族の健康状態を考えて、塩分の量を考える。ふと、今日の夕飯は○○が食べたいんじゃないかな?と思って献立を考える。そんな些細なことにこそ、人が顕れると思うのです。
たまたま英語のレッスンの後、M先生と、学校現場の話なんかをしていました。かつて教諭だったし、非常勤講師としても教壇に立っていた時間の長い私は、もちろん、M先生の話なんてちっとも聞かずに、しっかり先輩面をして、自分の想いを話していました。
でも、それほど、教育現場での発見が多く、私は、教壇に立つことから、たくさんのことを教えていただいてきたのだと思います。
新卒で働いていた学校で学んだこと、先輩や生徒に教えていただいたことの多さを、改めて思いました。
本当にいろいろ素晴らしいことを教えていただきました。
心に残っていることはたくさんあるのですが、その中でも、何か大きな仕事に取り掛かるとき、助けてくれる言葉があります。「一億円の取引も、一万円の買い物も、同じ。」というものです。要するに、何事も小さなことに細心の注意を払い、それを積み重ねて、大きな仕事になるのだ、ということを教えていただいていたのだと思うのですが、なぜか、その言葉で、毎日の生活も、授業も、気楽になったのを覚えています。最善を尽くした、その重なりが、仕事を仕上げるのだ、と、教育という、最後の結果を見届けることのできない仕事をしている自分を、励ましてくれました。
誰も見ていないところで、小さな単純作業に心を籠められる人を、私は、こよなく尊敬します。仕事に貴賤なんかない。自分に与えられた、あるいは出会った仕事に、向いてるの、向いていないのと言わずに、とにかく心を籠めてやってみる。そしたら、そこから必ず、何か教わることがあるはずです。そこから教わることがしっかり身に付いたら、必ず次の段階がやってくるのだということを、私は、仕事を通して、あるいは、家事を通して教わってきました。お手当はいただけないかもしれないけれど、家事は、本当に素晴らしい仕事だと思います。それが家族を支えるのだから。
教師しかしたことのない私には、世の中で、できない仕事がたくさんあると思います。また、共学しか知らなかった私には、やはりわからない世界もあると思います。
先生とお話ししたことがあります。22なんかで教師になって、先生と呼ばれ続けてきた私は、きっとどこかで勘違いしてるところもあるだろうと思います。って。
先生は、ほかの人の職業を、すごく尊んでおられて、よく言ってくださいました。
僕らなんかに、人前で、講義する、なんてこと、絶対できんよって。
ウソみたいに謙虚な言葉です。そこが、先生の素晴らしさだなあと思います。ちょっと白状してしまいました。いつも、突っかかったり、八つ当たりしているくせに。
現場で働く、ということは、すごく大切なことだと思います。小さな作業を心を込めてやっていく。家事も子育ても小さな仕事の連なり。本当にすごい現場の作業です。教育は、知的な活動でもあります。しつけをするには、大人がしっかりしていなければならない。子供を育てることってすごいことだと思います。
大事な大事なお子様をお預かりしているのだなあと思います。日々、小さな仕事の積み重ねですが、如何に自分が、気を抜かずに心を込めて指導をするか、ということが、もしかしたら、人の人生に大きく影響しているかもしれないと思うと、やはり、身の引き締まるがします。