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失敗できることの素晴らしさ!ーメンターの事例


私が今、学習している分野のメンターのそのお師匠様が、事業で、大きな失敗をして、それをブログで公開されました!

スゴイ表現すると、あんなに賢い人でも、私と同じことするねんなあ!です。この同じこと、と言うのは、失敗ではなく、失敗をあちこちに言いふらすことです。

よく私は、若い頃から、「そういうふつう、自分のマイナスになることは人に言わないんだけど、あなたは・・・。」的な表現をされてきたのですが、同じ人発見!その喜びったら!

高校で、数学で思いっきり苦労したことや、数ある失敗、隠さずになんでもしゃべってしまいますふつう、できないことは言わないのだそうで・・・。私は、できないことは教えてもらうことに決めています。むしろ、この人教えてもらうのに「使える!」と思ったら、徹底的に頼ります。そう、今だったら、英文科出身でもなく、外国語としての英語を徹底的に大学で教わったわけではないので、そっち系の人は、いざとなったらよろしくね!です。

第一、失敗には、恩恵の種がたくさん含まれていて、実は、成功につながるものをたくさん含んでいる栄養分たっぷりな経験なので、そんなもんしたくてもなかなかできない年齢になると、むしろ、失敗をたくさん重ねられる若さが、羨ましくなるというものです。

先日の、英語のレッスンで、私は国語の教師のくせして、M先生にかなり鋭いことを言っていたらしく(本人はまったく自覚なし。)、「今日の仕事はハードだったなあ。」とM先生。「えっ?何かすごい仕事してきたの?」「いえ、先生の質問が、まるで真剣を突きつけられるようで・・・。」

そんなん、我々の業界では当たり前。日本史の先生ならまだしも、物理の先生から、江戸期の(一応私の専門)文学について、鋭い質問を受けたり、あるいは、こちらが教わったり、それは専門家ぞろいですから、いろいろあります。それを、ドキドキしているM先生の若さは羨ましいですね。微笑ましいというか、可愛らしいというか。

私なんか、ずっと生意気な教師でした。新卒で勤めた学校で、漱石について、英文科出身の先輩に、上から目線で語られて、内心、「悔しいー!」と思ったり。私の方が専門じゃん!

今なら、人生の先輩に、文学を愛する先輩として、いいことを言っていただいて・・・、と感謝もするのでしょうが、当時の私は、負けん気は強いは、専門に対するこだわりはあるは、結構憤慨していました。かつての自分が生意気だったのか、あるいは年を取って丸くなったのか、気概がなくなったのか。

少々人間的に出来が悪くても、そういう気概を持って、国語の指導に当たろうとしていた自分が、可笑しくもあり、でも、一生懸命だったんだろうなあと、思い出します。何とか先輩方に追いつきたくて、必死だったのでしょう。それに比べれば、ずいぶんと年の差もあるとは言え、M先生なんて、可愛らしいものです。

女性の方が強い説もあったりして、「あら、私、知らず知らずのうちに男性を傷つけていたの?」と訊くと、「いえ、ひたむきなのはいいことです。」だなんて言われてしまいました。

あれこれ言われたって、そうそう人間なんて変われるものではなく・・・。一ミリ、一センチずつでも成長していくことにいたしましょう。

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