面白い現象
世の中うまくできている、とよく思わされるのですが、ときどきちょっと休憩、という状態になると、あまり教室の電話もならないし(各種業者さんからも含めて。)、面談の申し込みもあんまり・・・、なのに、さあ、勉強!と新しい勉強を始め、やる気になると、一日のうちに何件もの電話があり、毎日面談、ということになったりします。この、勉強というのが、何かを引き寄せてくるようで・・・。
神様が見ておられるのだろうか?という感じ。当たり前にほかの先生への依頼もしなければならないし、日程をあれこれ調整しなければならなくなります。もちろん時間割を組みなおさなければならなくなるわけです。で、何か対応しなければならないことが起こると、またまたその間は、電話が鳴らなくなり、また片付くと、電話が、というわけです。
まるで何かに監視されていて、で、時間ができたと判断されると、仕事が増える・・・、みたいな話で、実は、新卒で勤めた頃からそうでした。
それとともに、何か困ったり、もういやだ!(さすがに最近は経験が助けてくれて、そういうことはありませんが・・・。)なんて、あんなに教師になりたかったのに、なんやねん、この雑用ばっかりの仕事は!(実は教師の大半の仕事は授業だというイメージがありますが、学校現場に出ると、授業は一日の仕事の4分の1か5分の1だろうと思ったことがあります。)と、うんざりしたことも若い頃にはあったのですが、限界、という直前に、なんだか校長先生や、学年主任、先輩や、寮長先生などなど、なぜかお褒めの言葉をいただいたり、励みになる言葉が聞こえてきて、なあんだ!考えすぎじゃない!などとやっぱり教師になってよかった!ということが多くありました。若い頃はわからなかったのですが、悩んでいる、ということは、努力し、向上している証拠で、現状に満足してしまったら、悩みすらなくなってしまうというものだと思います。うまい具合に、しんどいことを思いっきり与えて向上させておいて、まあちょっとご褒美。まるでたくさんの鞭の間に少しアメ、みたいに使われていました(誰に?)。
年を重ねた現在、悩み、ではなく、乗り越えるべきことや向上するポイントだということは、自分自身でわかるので、新たな勉強を始めたり、あえて、自分の分野とは違った分野に足を踏み入れたりすることもあります。常に自分を改革し続け、脱皮していく面白さがあります。
なんだか昔から、楽はできないようになっているようで、時間ができ、さあ、という頃合いを見計らって、大きな仕事を任される、ということが多かったように思います。一体誰が私の状態を見ていらっしゃるのかしらん?と思わされます。
実は、新しい取り組みをしようとしていて、それに必要な道具が今日届いて、さて、頑張りましょうか!という状態です。自分自身の精神状態を誰かが知っているかのように物事は進むようです。
周りの状態を変えようとしても、何も変わりませんが、自分を変えるのは自由自在です。大学時代、実家から離れることのなかった私は、教員になり、寮生活をするようになって、初めて家族以外の人と暮らすことになりましたが、その後も含めて、多くの人と集団生活をすることによって、周りではなく、自分が変わっていけば、状況が変わるのだということを知ることになりました。
自分のほうの何かが、その時その場の自分に合った状況を引き寄せているように思えてなりません。
ちょうどよく向上するのに必要なことが起こり、なんだか、結構楽しんでいて、それで、オーラカラー金、だとか、心に毛が生えている、だとか、不名誉な結果をいただき、私には悩み事がない、と判断されてしまうようで・・・。
その昔、先輩から、「お前はよっぽどこの仕事向いてるねんなあ。毎日楽しそうで!」と発熱を押して、仕事をしていたときに言われて、かなり複雑な思いをしましたが、確かに好きですよ、教師の仕事!