言葉
以前、勤めていた予備校の機関紙にも、そういう内容で文章を載せていただいたことがあったのですが、私は、何かに言葉で表すことができると安心します。感覚で受け止めたことを、かなり無理があるのかもしれませんが、とにかく言葉で表現したいのです。
比較の対象になりませんが、夏目漱石の素晴らしさって、感覚で受け止めたことを、論理的に表現できるところだと思うのですが、その漱石先生をして、感覚的なことを論理にまで持ち上げられる人と言わしめた友人正岡子規。漱石先生は、子規の頭の良さを絶賛していて、この時代の知識人って、どうなっているんだろう?と思います。
周りの人には、「自分は、感覚で物事をとらえるタイプだから・・・。」と表現する方もたくさんいらして、そこで止めておけるなんて、羨ましい、と思うのですが、できるできないは別にして、私は、感覚的なことを、論理的に説明できたらどんなにいいだろうと考えるタイプです。
実は、ちょっとお恥ずかしい話かもしれませんが、私のこの気質を知り尽くしている実家の母は、私が困ったときに大活躍してくれます。言葉について専門家でもなんでもない母に、国語の教師の私が、非常に助けられるのです。
かつて、ある少年(今はもう少年ではない。)の人格が私は大好きで、でも、それをどう表現していいかわからなかったとき、母は、「きっと、温かいんやろなあ。」と言ってくれました。なあるほど!と私は納得!
○○さんが大好きで・・・、と友だちのことを話すと、「○○さんは、~な人なんと違う?」などなど。
私などよりシンプルに生きている母は、物事を見つめる目もシンプルで、余計なことをあれやこれや考えない分、本質をさっさとつかむのがうまいのかもしれません。
母のサポートとは別に、私は論理的に物事をつかみたい癖があります。説明のできないものが苦手です。かなり感覚的な面を大事にするようになってきたとは思うのですが・・。ああ、漱石先生が羨ましい!
実は直観の鋭い人というのは、論理的な人だそうで、どうつながるのかはわかりませんが、これからの人生の中で、解明できることもあるでしょうから、今しばらく時間が経つのを待ってみましょうか。