メンターになりつつある人
最近、新しい勉強を始めた私。毎日、ウェブで、授業を聴いたり、メールを見たりして、影響を受けています。お会いしたことはないのですが、なかなか素晴らしいことを言っていらっしゃってもう、私の信頼を得始めていらっしゃいます。
私より、ずいぶん若く、まだ小さいお子さんのパパさんですが、大阪の、私にとって、なじみ深い大学のご出身で、しかも大阪弁が耳になじんで、なんだかホッとしています。
自分らしく生きたら、自分に似た人が周りに集まるようになっているらしく、確かに、たくさんの人と出会いながら、長く関係が続く人もいれば、いつの間にかサヨナラになっている人もいて、合わない人はいなくなっているのに気づきます。自分では、気付かないうちに、どこかに去っていき、そして、自分に最も必要な人は、なぜかすごいタイミングで、出会ったり、再会したりします。
そして、おかしなことに「エッ!そんな人やったん!」という人は、いつの間にか消えていて、私は何かに渦中にはまりこまずに済むのです。これは、自分で気づいたのではなく、人に指摘されたことです。
でも、人間関係を自分から捨てたり、切ったりすることはあまりなく、結構、関係を保つのには、最大の努力をします。でも、ここまでやった、という、最善を尽くした、という実感が持てたら、もう、その後は、アッサリしたものです。無理に関係を保とうともしないし、だけど、何か役立つことがあれば、言ってね!程度。
そんな中で、何十年、十数年、お付き合いが続いている、ということは、それなりに、お互いに成長し続けている、と言うことでしょう。取り組む内容が、あるいは質が、変わってくれば、出会いも別れも必然的にやってきます。
それにしても、一人の人間が生きていく、というのは、なんとたくさんの顔を持つことなのでしょうか?
呼ばれ方、肩書などによって、その時々、自分が違う顔をして、そして違う対応をされながら、そして、思考も感情もそれぞれに対して違った回路や表出の仕方があって・・・。
そのうちの一つを切ったり、付け加えたりしながら、生きているのかもしれません。
この春、一つの肩書から、ちょっと解放されたのかもしれません。外しきれないけれど、その大部分が、肩から落ちた感じ。そして、新たな第一歩。それが、若きメンターとの出会いに結び付いたのかもしれないな、と思っています。