学校?
かつて、私は、母校の高校が、大っ嫌いでした。
あの時代に、一時、勉強大好き人間の私が、勉強が嫌いになったからです。理由は簡単。私は競争が大嫌い。そんな私が半ば無理やり、しかも美術のせいで落とされそうな試験を、水疱瘡の初期だと知らずに受けて、それでも定員割れで入ってしまい(定員割れでなかったら、あの日の出来では、確実に落ちていた。)、入学させられてしまったからです。トップの進学校の一つ。トロい私が何かについていける世界ではなく、変にまじめに悩みだす始末。でもなぜかいつもつじつまが合ってしまうのが私。母校の大学に入るのに、ことさら勉強したわけではなく、なんかもぞもぞしていました。
それが、数年前に、中部高校ご出身の先生の、進学校の定義が気に入ってしまい、まあええわ・・・、と考えるようになりまして、まるで、高校時代、学ランとセーラー服で(高岡高校の制服と似ていました。)アホなことをワイワイやっていたみたいに、賢いのかアホなのかよくわからない会話を楽しむようになり、周りのイメージとは反対に、アホな生活をしていたことをやっと肯定できるようになりました。
はっきり言って、あれは、「学歴コンプレックス」でした。もう、高校時代だけ、消しゴムで消したかった!でも、大学は大好きで、法学部の時計台を背負って生きている!と大学を代表している気分(たぶん卒業生全員、そのウイルスに冒されているであろう校風でした。)。高校だけ消したい!
結論。自分が入学した学校くらい、愛しましょうよ!
縁あって、入学したのだから・・・。入ったってことは、そこにいる値打ちのある自分で、また、逆に、母校の値打ちを挙げることのできる自分のはずです。
名門だって、初期のころはそうでなかった場合もあります。
と言いながら、教室に来てくださった皆様には、あくまで第一志望を目指していただきます。第一志望を目指して勉強することで、自分を磨いていただきます。でも、学校だけで、通用するほど世間は甘くないのも現実で、入学しても、学び続けていただかなくてはなりません。だから、卒業生のお話もお聞きするようにしています。
でも、考えたら、こんなにみんなが勉強できるようになったのは、本当に最近のことですよね。
経済的理由で、進学できない人がたくさんいたし、それを、前向きにとらえて、一生懸命生きている人がたくさんいらっしゃいます。学問する機会に恵まれた人が、一生懸命勉強するのは、自分のためではあるけれど、やはり、少しは世の中に役立とうという気概を持って学んでほしいなあと思います。