好きな言葉
なんだか女性らしいイメージを持たれがちですが、どうも興味そうでもないようで、結構武士的なものに惹かれていたりします。仲のいいお母様にも「先生、武士ですね!」と言われたし、同僚にも、「武士的考えですね!」と言われたこともあります。なんで、平安貴族の姫君、と言えないのでしょうか?
冗談はさておき、好きな言葉をいくつか挙げてみたいと思います。
熊沢蕃山
憂きことのなほこの上に積もれかし 限りある身の力ためさむ
なあんて言ってますが、そんなことホンマにあったら倒れるかもしれません。あんまり苦労はしたくないですね・・・。なんて矛盾。でも、どこまで耐えられるか、やってみるのも・・・。ほとんどアスリートですね。
お次は、もっともカッコいい言葉!
Let justice be done , though the heaven should fall.
九天落つるとも、正義はこれを成就せしめよ
ここで、「とも」は、終止形接続ではないか?などと突っ込みを入れるのは、ちょっと野暮ですが、なんか、この言葉を読んだとき、身体に稲妻が走るような、背中に一本筋を入れられたみたいな衝撃を受けたのを覚えています。
いまどき、どこに正義なんてあるんだ?と思われた向きもあるそうですが、どこやらの大学院では、先生方は(学生さんによると、いい年をした人が?)、赤面もので、「正義!正義!」と叫んでいらっしゃるそうで・・・。
ちなみに、私が調べたところによると、アメリカ第三代大統領ジョン=クインシー=アダムスという方の言葉だそうですが、私は、はっきり知りませんので、間違っていても、ご容赦のほどを・・・。
国語の先生としては、卒論から・・・。
心放てば妖魔となり、収るときは仏果を得る
上田秋成の『雨月物語』と『春雨物語』のどちらにも出てくフレーズです。ちょっとバリエーションがあって、どちらがどんな表現だったかはわかりませんが、内容は同じだから、これもご容赦のほどを・・・。
私は、上田秋成から、荘子の考えと出会いました。出会ったというほど、まだわかっていませんし、読んでもいませんが、荘子は好きです。相対的なものの考え方に、はっと目を見開かれる思いがしたことがありました。もっと偉大に思えるのは老子。深すぎて、まだまだ理解できる年齢にはなっていないようです。何度読んでも、新しく、ハッとするものがあります。
天網恢恢、疏にして而も失わず(疏は、いろいろ字が考えられます。) 老子
天の法網は広々と大きく、目はあらいが、何事も見逃すことはない。
ここまで来ると話が大きすぎて、私は、まだまだ実感できません。
さて、いつか、この言葉を実感することのできるときが来るのでしょうか?