旅立ち
かつて、高校教諭だったときに、入試問題を作成させられたことがありました。当時、私の勤務する学校では、一次試験も二次試験も、責任もって、一人の担当者が作成することになっていて、難しい方を、二次試験に、というような方法をとっていました。
まだ二年目の私は、さしてストックをもたない頭で、問題を作成するとなると、大学での専門分野や、それまでに読んだ作品が頼りでした。
そこで、古典の分野は、専門の近世文学と、俳句(芭蕉、蕪村、一茶)を絡めて、文学史もついでに・・・などという問題にしました。最初は、負担でしかなかった試験作成が、そこが私の悪い癖で、専門分野ですし、結局は、楽しんで、作ってしまいました(だいたい、仕事を仕事と思っていないようなところが私にはあります。たぶん、遊ぶことより楽しい。)。
先輩の社会の先生と、試験が終わってから、私の出題について話していたとき、「私は、蕪村の生き方に惹かれるんですよね。」とボソッつぶやいてしまいました。そうおっしゃる方は、文章を拝読しただけですが、結構、文学を専門にされている方に多いですけど、まだ、そんなことを知らないで、本当に、純粋にそう思っていました。
芭蕉は、旅に出て、求道心とともに、芸術性をどこまでも追求していきます。命を懸けて。ところが蕪村は、求道心も芸術性も日常生活の中から、高めていこうとします。その道にどっぷり浸かって、専門的に、という方が、俗世間に生きながら・・・という方なぜかたやすく思えたのでした。まだ23、4のしかも、娘盛り?の私の言葉に、先輩は、唖然としておられました。変わった奴やなあ・・・、と思っていらっしゃるのが、目の色からわかりました。
我ながら、なんだか変なことを考えていたものだと思います。
しかし、年を重ねた今でも、やはり、蕪村が好きです。
理科で、天体を教えていても、蕪村を思いますし、やはり、現実生活の中で、教わること、感じたり、考えたりすることは、何にもかえがたく思われるのです。
しかし、芭蕉の句を読むと、それはそれで、やはりすごいのです。ホント、あっぱれ!こんな言葉使ってもいいのかしら?
どうしてもあまりなじめないのが、一茶です。理由はまた。今度は、正岡子規の業績についてとともに、思うことをお話しさせてくださいませ。
旅立つ人も、留まる人も、日々、勉強することも、いろんなことから学ぶこともできます。
私は、ここに留まって、せいぜい自分を高めていきましょう。
今年旅立つ若者たちに乾杯!