難解な勉強がしたい私・・・。ー徳性との関係性。
させ
私はどうも、生活と勉強と仕事のバランスがうまく行かないと、おもしろくないようである。
要するに、どこかに私の中に配分があるのだろう。
最近は中間考査対策はあるものの、生活に偏って、日常生活的なことを満喫していた。
お洗濯、お料理、お掃除、そちらの方で楽しいことをあれこれしていた。
今日はキッチンの収納をすることになるだろう。
アマゾンであれこれを注文した。
そこはセール品を選ぶのはお得意である。
収納もやり出したら、これも好きである。
計画を立ててやればいいものを、結構その時にできることを片付けてタイプなので、仕事自体は速いだとかなんだとか言われているけれど、あまり達成感をもつタイプではないかもしれない。
生徒の指導の計画は、大学受験の場合は、結構綿密にヒアリングして考えて作成はするけれども、定期的に生徒の状態を見て、さっさと微調整をしていく。受験勉強のスケジュールは、進捗状況を見ながら、微調整しながら、間に合うように立てていく。
先日、仕事をスケジューリングして、頭の外に置くことの重要性を教えられた。
つまりは今していること以外のことを考えないでいいように・・・、ということである。
生徒さんの立場で言うと、今、英語の勉強をしながら、社会の心配をしない、というようなことになるだろうか?
私も生徒さんと一緒に、学ばせていただいていて、そして、仕事のやり方を改善したり、自分も成長させていただいている。
勉強のスケジュールを立てるのは得意である。
先がわかっているからである。どこに落ち着けばいいかわかっているからである。
でも、家事などは、気づいたときに気づいたようにササッとやらねばならない。
そのどちらの特性も、しっかり指導に生かしていきたい。
ただ、どうも私には得意とするところがあるようで、他塾の先生に評されたのではあるけれど、櫻井先生は、女性だから、細やかなところにとても気がつく・・・、とのことである。男性の先生が、やっぱり男じゃ気がつかないところがあってねえ・・・、とおっしゃったとのこと。女性であることを褒めていただけるのはとても嬉しい。
そして、これは生徒からよく言われるのだけれど、先生は、私たちのちょっとした変化にすぐ気がついて、対応してくれる。気遣いしてくれる、と言ってくれる。
それから、昨年の大学受験生は、先生の気遣いは、相手に気遣いしていると気づかせないような暗い自然で・・・、と言ってくれた。
いや、実はこれでも予備校講師。大学受験前に、恐ろしい顔を見せることもあり、そんなに女性的なところばかりではないのだけれど、でも、女性的な面が強く出ているとしたら、子育て時代の経験のためだろう。
玄関から入って、絶対に顔を見なければ、自分たちの部屋に入れない構造にしてあった我が家は、私が何かしていながらも、学校から帰ってきた子供たちの顔色や様子から、何かを察知していた。
大抵それとなく話してみると(無理やり聞き出してもいけないから。)、だいたい何かあったものだった。
我が子の様子を見る勘。
落ち込んでいそうなときは、落ち込んでいる子の好きな料理を出した。
姉の様子がおかしいときは、弟に、そっと聞いて来てもらったときもあった。
ねえ、お姉ちゃん、なんかおかしくなかった?
ちょっと様子見て来てくれる?
家族に貢献したい気持ちの強い、一番後から来た、末っ子の息子は、こういう時に、自分が役立つことを嫌がらない。
姉は、弟になら話す、という面もあったし・・・。
そう言えば、唯一に近く、外食を喜んでくれた、イオンのバイキングのお店で、息子は、決まった時間に並んでお皿に載せてもらうことになっていたローストビーフを取りに行って、三か所に載っているローストビーフの載ったお皿を後の三人に差し出して、これ食べて!と言ってくれたことがあった。
僕は、家族が喜ぶことをしている・・・、というのが嬉しいようだった。
そんな様子が、何よりうれしかった。
それは学力とは別の、徳性のようなものである。
学力よりも、培うのに、長い時間を要する力。
ときに見せてくれる、徳性が備わっていっている、と思わされる時、成績などの眼に見えるものの結果を見る喜びなどというものとは違う、深く心にじんわりと来る喜びを感じたものだった。
どちらも大事である。
学力に得性が備われば、社会で生きて行きやすくなる。
学力だけでは、自分のもっている力を発揮する機会の多寡にかかわってくるし、徳性だけでは、実際に、周りに対して、役に立てる場面が少なくなるかもしれない。
その両面のバランスを気にしながら、子育てしていた時代の自分のそれなりの努力を思い出したりしている。
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