議論を降りるということの大事さ。
議論していても、ずっと平行線のこともある。
価値観が違うというくらいなら、そのまま対話をして続けることもできるだろうけれど、ときに、誰が聞いてもおかしなことを言っている、と相手に対して思われるときは、その議論は終わりにした方がいい。
無用に傷つくだけだからだ。
それに、そういう場合は、相手に、思うようにしたいという目的地があり、そこに行くためなら無茶苦茶なことを言っていることがわかっていても、いやわかっているからなおさら、無理やり自分の論を押し通そうとする。
そういう人はたいてい、ほかの人に対してもそういうことをしているものと思う。
経験という蓄積ができてきた今になって言えることかもしれない。
子どもを思い通りにしたい先生だっておられる。
母親に、何となく嫌なことを言って、通信簿などの第三者が見るようなものには絶対にそういう表現はしなくても、二人だけの状態など密室の状態で何を言われているのかわからないようなあり方で、まるで脅されているかのような状態になったことがあった。言うこと聞かせてくれないと困りますよ、とそのまなざしからも感じられたこともある。
また、違う場所では、被疑者になって追い詰められたらこんな感じなんだろうな、というくらいに言い分も聞いてもらうことなく、周りの誰が聞いてもおかしな問い詰め方をされた経験もある。
そのときの、ニヤッと、可笑しそうに笑ったその人の顔を今も忘れはしない。
特別な人にだけ怒るのではなくて、誰にでも起こりうることだと思う。
初めてそういう場面に遭遇した時、途中までは相手の話を聞いていたけれど、途中からなんとも不毛な議論、いや議論になどなっていない、一方的な話だと思ったので、それでは・・・、と途中で帰って来た。
とにかく言うことを聞かせよう、という態度の人もいる。
何も全部を聞くことなどない。
相手に言いたいことがあるだけだ。思い通りにしたいという思いがあるだけだ。
明らかに聞いている側に非があるなら仕方がないし、それも不当だと思えないようなものならば聞けばいい、というより聞くべきである。いや聞かなければならない。
でも、どうしたっておかしな話を吹っ掛けられたら、途中で止めるべきである。
自分の立場を使って議論に勝とうとする人とそれ以上話す必要などないのだから。