花咲く5月
今日、金沢への行き帰り、山々の緑に水田の水面が冴え、そして美しく花が咲きこぼれていた。
野山の花々の美しさ。
美しく花を咲かせるには、その時だけ咲けばいいというものではない。
むしろ、その花開くまでの時間の充実が花を開かせる。
言葉を扱う仕事をしている私の場合、その言葉への感受性についてよく考える。
今日も、金沢でお目に掛かった先生と、言葉の重要性を話していた。
論理的な日本語。感受性豊かな日本語。
もっと日本語について学ぶ機会が必要だというようなお話をしていた。
人の言葉もそうであるが、口から出てくる言葉は、その人そのものである。
誰かの素敵な言い回しを覚えていたり、あるいは、この人の考えは○○であろう・・・、という推測の下に、その相手に馴染みやすそうな言葉を言っても、それは心に響くものにはならない。
かつて高校で、新卒の時に生活指導を務めたとき、なぜ先輩の言葉は生徒に響き、自分の言葉は相手に伝わらない、ただのうるさい言葉としてしか響かないのだろう・・・?と思い、研究した。
それは幾分テクニカルなものとしてとらえていたのだろう。
言葉は、その人自身を表している。
いいことだけを賢そうな振る舞いで言っても、その普段の在り方が、そうでなければ相手には伝わらない。
言葉を樹木に喩えた方がいらっしゃるが、同じ言葉で表現しても、それは話者、あるいは書き手によって、全く味わいの違ったものになってしまう。
サクラは冬の間から、樹の中で咲いているらしい。
春のサクラの美しさは、懸命な一年中のサクラの木の必死な営みによって生まれるものだ。
チェリーの教室の前には、奇しくもサクラの木がある。
毎年、美しく咲いてくれる。
散ったサクラの花びらは、まるで波のように風に寄せられて、より鮮明で、濃く美しいピンク色を見せてくれる。
まるで美しく咲いた後に、誰かのこころのなかに溜まっていくかのように・・・。
吹き溜まりのサクラはそれはそれで美しい。
美しい言葉を発したい。
誰かのこころに、美しく響く言葉を発したい。
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