自主性と強制って?ーそれはないでしょ?
夏期講習前に相当に神経を使うのは、本当に毎年のことで、そんなこと仕方がない。
一人ひとりの進路を考え、それぞれの成績との相談(私の中での。)、私はこうした方がいいかなあ・・・、ということで決めていく。
面談をして、必要のないものなど、絶対にお勧めはしない。
まずこちらの講座がありき、ではなくて、みんなの成績やメンバーを見て、講座を作る。
金額的に高めには絶対に設定しない。
それを、中三生の、他塾からの勧誘のお電話を何度も受けているらしい生徒さんは、
櫻井先生は、生徒の自主性の任せるからね・・・。
と言ってくれる。
電話を掛けて来られるところは強制的、だというのである。
これは、ちょっと言葉の使い方に問題があると思う。
強制的に入らせる塾さんがあるわけがない。
それは、お断りとするなり、入ります、というなりの意思表示があって、初めて成立するものだからである。
私は思っている。
その子に一番合った塾に行くべきだと。
もし、ハイレベルで、集団で、たくさんの中で切磋琢磨した方がいい、というのならば、1学年がたくさんのところに行けばいいと思う。
ハイレベルでも、わかりたい、演習していても、何が間違っているのかをはっきりしたい、とタイプは、チェリーが合っているだろう。
わかってもらいたいから。
この問題にはこうして・・・、では、その問題をたくさん解けば溶けるようになると思っているかもしれないけれど、いつか限界が来る。
しっかりわかっておけば、それはどの問題にも応用が利く。
そういう意味で言うと、最近の中学生の英語の文法の理解の甘さには、驚くところがある。
この時はこうする、というのでも、きちんと理解したうえでの先への進め方ならいいのであるが、演習することによって、かずうちゃ当たる、的にやっていたのでは、時間ばかりかかるだろう。
近年、この、文法理解の甘さに、結構対応させられている。
そのときに集中して、しっかり理解するという姿勢があまり見られない。
そこで、きっちりやる、ということをお伝えしている。
論理的に、しっかり理解する。
英語は、毎年、高校受験でも大学受験でも、処理能力が問われる問題になって来て、読解力、というか、情報処理能力が試される。実用的になっている、という表現が正しいかもしれない。
ネイティブの英語は、かつて日本で教えられていた文法では追い付かないところもあり、文法を崩した表現にも慣れてほしいという意図も感じられる。
昨年、大学受験で、結構短時間で仕上げなければならない生徒さんがおられた。
他塾に行って、全然合わなくて、こちらに来られた。
春に一度面談をしていたけれど、一度は、違うところに行かれた。
比較対象できて良かったのかもしれない。
慣れてからは落ち着いて勉強されていた。
志望校が、それを必要とする大学だったからだけれど、とにかく、その大学で採用しているTEAPという英検の試験を使っ、文法も読解も、そして処理能力養成も全部やらせていただいた。
素地もあったのだろう。
伸びるのが速かった。
入試でも、結構余裕で入学されていて、今は青春を謳歌しておられる。
合った塾、というものはあると思う。
それを決定するのは、生徒さんと親御さん。
でも、私も、合うか合わないかと見極める。
合うだろうという生徒さんをお引き受けして、精一杯やったうえで、合格できなくても、それは仕方がないけれど、合わないだろうという生徒さんをお引き受けして、精一杯やってみたけれど、無理だった、では申し訳なさ過ぎる。
かつてあった。
どうしても生徒さんがチェリーに来たいと思われた。
合わないのではないかな?と思ったし、親御さんもちょっとそのことを思われていたようだった。
個別指導の間はいい。
しかし受験期になると、クラスで演習ということにもなる。
その頃になると、周りにも影響が出てくることになる。
今でも、あれは良くない事例だったな、と思い出す。
だれもしあわせになっていない。
そういう指導は避けたい。
さいわい、今来てくれている生徒さんには、違うところの方が・・・、という思いはない。
自信をもって、うち頑張ってね!という思いがある。
だから、今年の夏期講習に全力を傾けたいと思う。
いや、全力を傾けるのは、いつものことではあるけれど、かなりの自信をもって、結果につなげるつもりである。
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