素敵な人になるために・・・。
自分もまだまだこれからなのだけれど、とりあえず、チェリーに来ていただいた人には、より素敵な人になっていただきたい、と、心のエステティシャンでも目指しているかのような私である。
以前、予備校勤務を控えた私は、数か月でえ20㎏程減量を下という話を書いたことがあるけれど、まあ、それはそれで実験だったのであるけれど、それに、大学の先生までおっしゃるように、着ている洋服も含めて、容姿が、授業の反応に影響する、という説もあるように、まあ、素敵な人になるに越したことはない。
で、やってみたのだけれど、やはり、きれいになるほうがいい。
でも、俺、まゆみさんのファンやしー、と言って私をからかっていたパパ友は、どちらにせよ、私をいじって遊んでいた。
けども、どんなに容姿を美しくしても、やはり内面が伴っていないと、人は着いて来てくれない。
要するに、容姿は容姿だけなのである。
プロポーズのとき、指輪を送るのに、新聞紙に包んでいては、その中の指輪の価値が下がってしまうかのように、内面の豊かな人ほど、たしかに外見を磨くとよりよくラッピングされて、内面を伝えやすくなることになると思う。
先日、それこそ、外見をかまわない雰囲気の初対面の方とお話した。
その方は、礼儀正しく、私のした発言を褒めてくださった。
素敵な方だった。
後でひょんなことでその方を知ってみたのだけれど、非常に学識豊かで、周りの人のために一生懸命に働いている方のようだった。
見抜けるときは見抜けるものだ。
以前、あるところにバイトに行った(一生に一度したかったお料理の先生めいた仕事をしてみたかったのである。)。
なんと、大学入試の倍率くらいはある難関を突破して、そのバイトを勝ち取ったのである。うふふ・・・。
このバイトのおかげで、私はその後、同僚にお料理のプロ扱いを受けることになったりもした。ちょっと!
そこでは、なんとシェフの姿で(一度はしてみたかった・・・。)、いや、違うかな?エプロン姿だっただろうか?初めて高速を運転できたちょっと得意になって日でもあったけど。
そこでお昼をいただいた。
なんだか地域の特性のあるお食事を出してくださった。
おうどんとかおにぎりだったかなあ・・・。
お向かいに座っていらっしゃった、なんてことない背広姿の年配のおじさまに話しかけてみた。
すると、
皆様に喜んでいただきたくて、毎年この会を開いているんですよ!
とおっしゃって、どうも主催者側の方のようだった。
あれこれ楽しくお話していた。
その後、いろんな人が、その人のところに来ては深々とお辞儀をして挨拶していった。
あら?私、とんでもないことしてしまったのかしらん?(正直、またやってしまった?と思った。)
ちなみに、バイト先で、お昼休みに素敵なこれはお買い得!という木製のプランター・カバーを物色して、予約しておいたという呑気さであった。
バイトしていた仕事場に、お料理のために戻ってみると、
さっきの方は・・・?なんだかすごい人のようだったけど・・・?
ああ、名誉会長でしょ?櫻井さん、話していた・・・?
と言われて、唖然。
すぐに非礼をお詫びに行った。
でも、思った。
素敵な人って、なんだか惹かれて、話しかけたくなるものだ、と。
徳のある人って、よく話しかけられたり、よく言うのは、カメラのシャッターを押してもらえませんか?とお願いされる、と言われる。また、道を聞かれやすい、とも。
私は、このお二方のことを思い出すとき、優秀であったり、それから素晴らしい社会貢献をされている方って、本当にまわりに役立っている方って、話しやすい雰囲気をもっておられるのだろうということを実感する
素敵な中身があってこそ、外見も生きる。
若いうちなら、外見だけでも通用する面もあるかもしれないけれど、やはり、外見は、数か月で変える変えることができるけれど、内面を変えるのは、本当に時間が掛かる。
外見ももちろん大変だけれど、内面の方が、もっと時間も苦労もあると思う。
大切な人を守るために、下げられない頭を下げたり、時には相手が間違っていると思っても、引かなければならなかったり、自分のくせとも付き合わなければならないけれど、人のくせとの付き合い方も学ばなければならない。
第一、正しい、正しくない、の問題では片付かない。
正直、それで片付いたら、どんなに楽だろうと思うこともあるくらい。
正しい、正しくない、ではなくて、どうしたら周りとうまくやっていける自分になるか、自分の考え方のフレームを変えたり、気持ちのもち方を変えていけるといいな、と思う。
ハードだけではなくて、ソフトに、自分を変えていけるといいな、と常々思っている。
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