私が母親になった記念の日💛

○○年前の今頃、私は分娩台の上にいた。
もうすぐ生まれてくる我が子に会えるのを楽しみに、でもあまり強くならない陣痛のせいで結構長引くことになったとはいえ、4時間くらいでそう痛くもないお産だった。
あれこれ悩みを抱えてのお産だったし、夫とは離れた里帰り出産だったし、心細くはあった。
とはいえ、生まれ育った、自分が成長した大阪でのお産は、婚家のある場所でのあるお産でよりは、どこかしっかりした自分でいられるような気がしていた。精神力も強くもつことができた。
婚家で世話になりながらのお産だったとしたら、私の精神は保つことができず、最後までお産を乗り切ることができたかどうかわからない。
夫の職場の同期の人の奥さんが帝王切開だったと聞いて、
そう細くもない人が、帝王切開するのは恥ながいよ。
つまりは、その奥さんは帝王切開になって良くても、コロコロした私がもしも帝王切開にでもなってはいけない、と注意されてきたし、妹さんのお子さんがなかなか首が座らないと言っては、心配してカルシウムの瓶を一本飲まされた。
ジョークのつもりで、母などは、
しっかり飲むか、ちゃんと監視しておきますから・・・。(笑)
などと言ってくれたが、関西人の、自分を下げてものを言ったり、頭を下げて置く、という地方性によるコミュニケーションは通用しなかった。
そんな下手に出たら、もっとどんどん偉そうにされる。
誰にも偉そうにできない人は、ちょっとでも偉そうにしてもいいと思われる人にはものすごく偉そうである。
実家でも婚家でも、聞いたところによると、周りに相当バカにされてきたらしいお姑さんは、嫁と嫁の実家は徹底的に下手に見て、礼儀も何もわからないのか?というほど偉そうだった。
とにかく偉そうにしたい人っているのだなと思った。
自分の意志でそうするならいい。でも、徹底的な管理下に置かれるのはどうしようもなく辛かった。
私が何も考えていない人間であるかのように、徹底的に指示された。
でも、できたらできたで嫌そうである。つまりは注意がしたいだけ。
できていないことを言われるなら素直に聞くだろう。
でも、それはどんどん重箱の隅をつつくかのような注意に変わった。
子どもが無事に生まれるかどうか、自分がしてきた思いをが子供に悪影響を与えないか心配だったので、とにかく自分の気持ちの平衡を保つのに必死だった。
めでたくコロコロと丸々太った元気な赤ん坊を産んだら産んだで、赤ちゃんを見に来た病室で、嫌味を言われた。
あんた、こんな発育のいい子、何食べとったが?ああ、これで〇子ちゃんのいいお手本ができた・・・。
それまでお姑さんの言うことを逆らいもせずに聞いてきた私の気持ちが決壊してしまった。
せっかくお義母さんの言うことを聞いてきたのに、この言葉はないだろう・・・。
ちょうど妹さんが二人目を身籠っておられたので、帰ってからはまたひどくなった。
ひどいときには、夫と二人でいるときに、
あんたらっちだけ発育のいい子生まれていいね!
と投げセリフを吐かれてどこかに行ってしまわれた。
私にはその心理がいまだに理解できない。
なぜ息子の子どもが発育が良くて情けなくなるのだろうか?
でも、そんなことよりも私は、生まれたばかりの娘が可愛かった。とにかくこの娘が、私がしてきたからというのではない、この娘がもっているものを全力で育てて、この子らしく生きてほしいと思ってきた。
私のためにどうのこうのなってほしいなどと思ったことなど一度もない。
娘が娘としてのしあわせをつかみ取ってほしくて、そのことを自分が好きなことや自分がやってきたことで邪魔しないように、本当に気を付けてきた。
絵さえ描いていられればしあわせ・・・。
小さい頃からそう言ってばかりいた娘が、いつまでもしあわせでいてくれますように!
とりあえず、生まれたばかりの娘が可愛くて、大好きだった仕事を辞めるのが寂しくて仕方のなかった私は、
なんでこんな素敵なことと仕事なんかを天秤にかけるような思いをしたのかしらん?絶対こっち取るわ!
と子どもを産むことのしあわせを思った。
可愛くて可愛くて仕方なかった。
世間一般のしあわせを願っているのではない。
本当に自分で納得できる、自分でこれがしあわせという生き方をしていってほしいなと思うのである。
私とは違う人間なのだから。
昔から画材屋さんや美術館に行っては、その専門家の人にあれこれ娘のことを相談した。
教室の並びの画材屋さんで、あれこれお聞きして、家の家計にとっては少々値の張るクレパスを数本ずつ、集めたこともあった。
あまり喜ばなかったけど。(笑)
イオンの本屋さんでたくさんの色鉛筆を買ってきたこともあったし、素敵なスケッチブックを選んだこともあった。
本を読むことと、音楽を聴くこと、そして絵を描くことがめっぽう好きな娘。
私は絵が本当に下手で、高校に進学するときも美術一つで、母校に進学することが危なかったくらいなので、自分にないものをもった娘が嬉しくて、勉強がどうの、などと言うより、この子はこの子の素敵なものをもって生まれてきてくれたんだなあ・・・、と感謝していた。
そんな感性って、育てられるものじゃないから。私もそういう子、ほしかったなあ・・・。
とかつての職場で仲良くしてた奥様に言われた。
芸術的な素養って、勉強とは違って、後から育てようと思って育てられるものではない。
自分にないものをもっている子どもをもつと、それはそれで未知な面があり、大変だったけれど、楽しくもあった。
知らない世界をたくさん知ることになった。
学生時代から絵を見ることが好きだったけれど、以前にも増して、真剣に絵を見るようになった。
子育てって、本当に新しい世界と出会わせてくれる。
新しい自分と出会わせてくれる。
私は思っていたよりも、ずっとずっと母性が強かった。
子育てが楽しかった。
娘の誕生日になんだけれど、何にも知らない土地で、誰も助けのないところで、それも夫の仕事の関係者は全然違うタイプという中で、本当によくやってきたと思う。
少しずつ自分の社会復帰もし、自分なりの人間関係も作り、いつしか県内県外、どこでもあちこち行けるようになった。
当初助手席専門だった私が、今では大きく変わった。
いろんなことがあったなあ。
あまり過去を振り返って、あの時が良かった、などとは思わない私なのだけれど、それでも、人生の中で一番しあわせだった時はいつか?と聞かれれば、今でも、
初めての出産で娘を産んだとき。
と即座に答えることができる。
それほど娘を産んだときはしあわせだった。
そして、その次は間違いなく息子を産んだとき。
この子が、自分とは違う、どんな素晴らしい人生を歩んでいくのだろう?と、結婚で、ある意味終着点を迎えたかのような自分の人生が、明るく末広がりに思えた日のことを忘れられない。
息子が生まれたときには、
ああ、これで人生の面子がそろった。
という気がした。どこか安定するのを感じた。
親なんて超えて、ずっとずっと素晴らしい人生を歩んでほしい。
ずっとずっとそう思ってきたし、これからもそのことばかり願っている。
本当に生まれてきてくれて、ありがとう!
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