温泉の効用ー大学受験の体調管理としても・・・。
受験勉強をしていて、肩や首が凝り、果ては頭痛まで起こすことがある。
血行が悪くなり、とても勉強が頭に入っていかない状態になるときがある。
そんな時、思い切って、マッサージに行くのも良いし、あるいは温泉で(富山県には温泉がたくさんあるので。)、身体をほぐしてくることも効果的である。
眼精疲労もバカにならない。
度のあったメガネをかけることも重要である。
私も受験勉強をしていた頃、以前より長時間勉強ができなくなっていることがあった。
疲れやすくなり、2~3時間勉強しただけで本当に疲れ切ってしまった時期があった。
原因をあれこれ探してみたけれど、もしかしたら・・・、と思って眼科に行ってみたら、視力が変わらなかったけれど、かなり老眼がすすんでいたのだった。もともと遠視だった私は老眼が早かった(母に言わせると、どこが早いの?という話らしいけれども。)。受診した眼科で、先生は、「老眼鏡の『老』の字が気に入らんかもしれんけど、掛けてみて。楽になるよ。」と私の職業にも関心をもたれたようで、ちょうどそこにあった老眼鏡までくださる親切さであった。
先生は、やっぱり授業するときとかに見えにくいの?とおっしゃっていたが、そんなものではない。私は、自分のための勉強が読書に、もう目が着いて行かなくなっていたのである。
だから、結構老眼鏡には気を遣う。
今も3本持っている。
教室には一本常備し、一本は自宅用。一本は持ち歩きようである。
自分のいる場所で、本が読めなくなると一大事である。
スマホに時間を掛けているのはもったいない。
本を持ち歩き、せめてもの隙間時間で本を読みたい。
でも、ここ数年、少しばかり気がかりなことがあって、私はロクに本が読めていなかったということに気づいた。
自分ではどうすることもできない、けれど気掛かりなことがあった。
シャキッとしない自分の気持ち。
そこで、本を読むよりも、映画を観るようになっていた気がする。
映画だっていろいろ考えさせられる。
しかし、やはり本を読むことに比べると、どうしたって考えることの深さが違う。
本を読んでいると、どうしても自分の精神が耕される。
人生経験も相まって、ああ、なるほど!と思わされることが多い。
その時々で、自分を鍛えていく分野が違う。
もう、自分の庭を歩くように読むようになった古文。その次は英語。なかなか慣れていないのかもしれない哲学。それよりもまだ私にとっては難解な歴史の本。
生活の中にいても、まだまだ読みたい本だらけである。
そして分野によっては、まだまだ慣れてこない本もある。
でも、読めないままにしておくことは性格的にないだろうな。
数年経てば、結局馴染みの分野になっていることだろう。
高校時代、漢文なんて全然好きでも何でもなかったのに、今や、国語の中でもむしろ大好きな分野になっている。そんな風にいつかまた、その分野が得意だと言えるようになるまで勉強したい。
それにしても、近世を扱って、古文なり日本史なりを教えているとき、熱く語りながら、私は依然、複雑な思いをしていることがある。
どちらかというと男性の作家が好きであったのにも関わらず、私は、『源氏物語』と語るとき、どうもとんでもなく中に入り込んでいるらしく、何度か源氏が専門であると勘違いをされた。
別に不名誉な勘違いでもないけれど、それでも幾分憮然としている自分もいて、やはり私は自分というものがいったいどこにいるのかわからなくなってしまう。
本当に好きなものはなんなの?
ときに自分に問うている。
どれも好き・・・、というのが答えかもしれないなあ。
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