母の言葉で大笑いしたこと―親切な気持ちとやる気
日曜日、母がちょっとしたことでコケたらしく、鎖骨の辺りを打って、痛い、ということで、月曜日にゴミ当番の後片付けを終わってから、一番で言ったつもりが、指導の時間までに間に合わなかったので、引き返してきた。様子を見るとのことだったのだけれど、それなら、と今日朝一番に朝の6時前に並び、7時半に病院の待合に入り、8時から診察していただいた。
待っている間、お手洗いに行ってきた母の歩き方が変わっている。
以前よりすたすたと歩いているのである。
先週の火曜日に病院に行って、慢性痛み外来で診ていただいたときの、痛くても歩くようにしなければ、運動しなければ・・・、という先生のお言葉通り、それまではできることは私がサッと動いてやっていたのだけれど、そういう過保護なことはしなくなったので、結構動いているらしく、私が知らない間に筋力が着いて来ていたようである。
大動脈解離で入院した、その以前の状態に戻ってきているようである。足取りもしっかりしている。
それでも、痛い、痛い、と言っている。
今度は右腕が上がらない、とのこと。
先生に診ていただいて、レントゲンを撮っていただいた。途中、レントゲン撮影をされた技師さんが、映像を見て、これは年とため取っておくべきか・・・、と院長先生に聞いてくださって、もう2枚撮っていただいた。
院長先生は、最初に、
お母さん、転んで、これくらいで済んでよかったねえ、写真撮ってからね、と言ってくださった。
その前向きな、大したことないよ、という言葉に私も楽になった。
写真を見て、何かあるかな、と思ったけど、これならシップ貼るだけで大丈夫やわ。シップ貼ってそれでも痛いようやったら、また、来て・・・。と言ってくださった。
それから、良かったな、と思ったのは、右手、痛いけど動かさんなんよ。固まってしまうからね。
というお言葉だった。
この、痛くても、その痛みに付き合って、動かさなければならない、という一言は、私にも母にもよかったようで、生活する希望にもなるし、きちんと自立できている感じがする。
どの先生に、動かなければならない、と言われても、痛いし、筋力が落ちて・・・、と言って暗い顔をしていたのに、痛みと付き合いながら、動いた方がいいのだ、ということがわかっただけで、母は嬉しそうである。
それに、実際、先生がおっしゃったことを守っただけで、母は元気になっている。
先生方のお言葉は強いなあ、と思う。
いろんな病院で、ちょっと大げさ、みたいな表現をいくつかされてきたように私には感じられていたけれど、整形外科の先生の、痛くても動かさんなんよ、は、娘の私の言葉よりも効いたようだ。
先生のお言葉に嬉しくなった私は、安心しました!と言うなり、荷物と、母の杖まで持って、診察室を出てきてしまった。
受付の待合で、
あら、お母さんの杖まで私、持ってたわ!と言うと、
まるで○○ちゃんみたい・・・、と娘の名前を出して母は笑う。
???
なんで○○?と訊ねると、私は覚えていないのだけれど、脚が悪い(母は股関節置換手術を受けているし、その看病に、まだ幼稚園に入る前の娘を連れて、実家に帰っていたことがあった。)母に、4歳か5歳だったかの娘は、少しでも荷物を持ってあげようとして、こともあろうに、おばあちゃん、持ってあげる・・・、と杖を持ってくれたのらしい。
母は、その気持ちが嬉しくて、娘に杖を持ってもらってくれたらしい。
優しくて、親切なのはわかるけど、どこか子どもたちは、間抜けと言うか、ズレているというか、そういう話題には事欠かない。
しかし、診察室から、いくら嬉しいからって、杖まで持って出てくるような娘の子どもなら、おばあちゃんにとっての孫が、そういう、ちょっとズッコケた親切をするのもわからなくはないなあ、と笑っていた。
孫たちの小さなときの話をよくする母は、それぞれの性格をよくわかっているようだ。
家の子どもたちなど、どちらかと言うと遠方に住まい、そうそう会う機会も多かったわけでもないのに、その本質を見抜いたようなことをよく話してくれる。おばあちゃんなだけに、ちょっと客観的に見ているな、といつも感心する。
人に対する審美眼のある母の言葉だから、信じておこう。
きっと時にはズレているかもしれないけれど、それなりに自分の居場所で、それなりに周りに人に何かしていることだろう。
人のために何かできれば、どこへ行っても生きていける。
私たちがいなくなっても、生きて行けるだろう・・・。
だなあんて、誰がそうそう早くにこの世から去らせてくれるものか・・・、と神様だか、天だか、あるいは造物主だかのご意志を私は感じている。
占い師の人の言葉を何一つ信じない私ではあるけれど、私が長生きだろうことは容易に想像がつく。
年々、元気になって行くようだし、やりたいことのアイディアなど止まらない。
まだまだやりたいことがある。
根拠のない予感ではあるけれど、長生きで、最後の最後の瞬間まで私はきっと働いていることだろう。
誰かの役に立っていると信じながら。
それも家事ではなくて、例えば、シーツを干してるとか、梅干し漬けてるとか、そういう瞬間ではなくて、やっぱり指導を終えた瞬間、のような気がしている。
おー、やりおおせたぜ!と満面のほほえみで、サヨナラするのが夢である。
最後の授業は、数学や英語や社会や理科ではなく、そこは長年私と共にいてくれた国語、それも現代文の授業であってほしい。
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