櫻井の考える因果応報とは・・・?
私の経験論なのだけれど、まあ、自分のしたこと、言ったことは、良いことも悪いことも、まず自分に返ってくると思っている。
だから、怖い。
自分に返ってくるのなら、まだいい。
自分の大切なひとに返ってくるのが怖くて、私は、誰かに何かひどいことを言われたとしても、そして、その相手が若干弱い立場になったとしても、「だから、言ったじゃない!」みたいな、傷口に塩を塗り込むようなことができない。
そーっとしておくことにしている。
ただでさえご本人には自覚があるだろうし、言ったことを忘れているはずはないだろうから。
でも、経験的に、言いたい気持ちをぐっとこらえて、いや、そんなこと、そもそも言いたくないような、自分を律することができ、そして、人のことを見ている暇がないような人が、自分の人生をしっかりと歩めるのだと思う。
京都セラミックの名誉会長である稲盛和夫さんの、よく言われる因果応報という言葉が忘れられない。
しかも、人が新幹線に乗り間違えた件について、「逆走したんですってね!」と珍しく自分への言葉の仕返しよろしくからかってしまったその数か月後、私はその方がらみの旅立ちの帰り、空港で飛行機に乗り遅れ、一泊せざるを得なくなった、ということを経験してから、こんな小さなことでもそうなら、もっと人生に重大なことならなおさらだなあ、と思っている。
また、立場上、生徒が、そういうことにならないように気をつけている。
だいたい、好きなことを言って、周りを傷つけまくって、いいこと起こってくるわけない。
そういうことって、演奏会や、まあ、高校の定期テストくらいならまだましとはいえ、人生においての大事な場で出てくることが多いから・・・。
運だけで生きてきたような私の実感です。
いやいや、受験だと、まずは勉強が大切ですが。
努力や行い失くして、因果応報も何もないわけで、努力した、あともう一息、あとプラスアルファでのことである。
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