明けましておめでとうございます。
明けましておめでとうございます。
今日も朝から指導ですが、18時には閉校にして、講師も生徒もちょっとは元旦をゆっくり過ごせるようにと考えました。
毎年、元旦にはちょっとだけ配慮してきたような気もしています。
冬期講習中は、もしも食材がなくなったら・・・、と思って、いつもたくさん目に食材を確保するようにしています。
だから、毎日、あれこれ何を作ろうか?と工夫するのが楽しいのです。
が、我が家も年が明けた頃からもうお節で白ワインを飲み始めて、ちょっとだけ夜更かししてしまいました。
私は、若いころお正月が苦手でした。
今よりもお正月の雰囲気があったからでしょうか?
1月1日が当然営業中のお店ばかりでなくて、どこか街がひっそりしていましたから、世の中が動いていないようで寂しかったのだと思います。
ある年友達のTちゃんと初詣に行って、梅田のちょっとしゃれた居酒屋さんみたいなところに入りました。
元旦やのにやってるねんなー。
などと言いながら。
その日に食べた、なんとも堅い表面の鶏肉の辛いお料理が食べたくなり、それから数日はそのお料理の再現を試みたのですがダメでした。
あれだけはどうして作るのかいまだにわからない。
だいたいあれほど堅く、どうして仕上げることができたのか?と今でも謎なのです。
これほどお料理が好きになるとも思っていなかったけど、あれこれ工夫して作ってみたくなるのは母譲りかもしれません。
こちらのお姑さんに基本的なことを教えてもらってからは、ますます人に出すのも、新しいお料理を作るのにも、安心してできるようになりました。
自分勝手に適当な目分量でやっていた若いころに比べて、一時は必ずレシピ通りの分量で作っていました。
若いころは、「今日の料理」のお料理でさえいい加減な分量で作っていたことを思い出します。
でも、最近は適当に作っても、味が決まらない、ということはなくなっています。
たいして作って来たとは思っていないけれど、毎日キッチンに立つということはこういうことなのだなあ、と思います。
授業もそうです。
あるとき、教育実習生の挨拶される様子や授業を見せていただいて、そのドキドキされる様子を驚きながら見ていました。
私たちがあまりにも普通に自然にやってしまっていることが、そうでもない人がいるのだなあ、ということに驚いてしまったのです。
嫁入りしたばかりの頃、一つ一つのお料理の決まりごとが大変で、しかも、地方が違うし、もちろん家風も違うので、野菜の切り方ひとつ違っているのに、戸惑い、情けなくなり、どうしようもない気持ちになったこともありました。
でも、一生懸命にやったことというのはどこかに残っていて、今の自分を形作ってくれているし、なくてはならないものとなっているものです。いつしか空気のように、当たり前にできることになってしまっていて、それができているとも意識していなくなっていたりします。
そういうことって、挨拶の仕方一つ、誰かをお迎えした時に荷物を持ってみたり、ドアを先に開けて先に入っていただくようにしたりなど、それぞれの場面にあると思います。
慣れないと思い込んでいたこちらの風習がいつの間にか自分の身体に沁み込んでいるのを感じるとき、ああ、慣れっていうのは、大きいことなんだなあ、とつくづく思います。
生徒さんたちには勉強することに慣れ切ってほしいと思います。
最近入ってくれた生徒さんも、最初は、勉強があまり・・・、とお母様がおっしゃっていたのに、いつの間にか勉強することが普通になっているようで、はまり込んでいます。
おもしろいものだなあ、と思います。
一つのことに集中した経験のある人は、もしかしたら、なにかに集中しなければならない時も、その在り方が応用できて、そのやり方を体のどこかで記憶しているのではないかな?と思っています。
なんでもいいから小さいときに、一つのことに集中した経験をさせておいてあげたいものだと思います。
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