斎藤茂吉の歌ーみちのくの母のいのちを一目みん・・・。
中二の時に出会った、斎藤茂吉の歌。
みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとぞただに急げる
この歌が、なんとも実感を伴って感じられた。
その後も、どの歌人が好きか?と言われれば、斎藤茂吉を挙げてきたし、娘を産む直前には、斎藤茂吉歌集をノートに写しながら生まれる日を待っていた。
その後、高校の教壇に立って、さて教える段になったとき、斎藤茂吉の生い立ちを知り、ああ、なるほど!と思った。
大学卒業直前に、次男である北杜夫の『楡家の人々』を読んでいたので、より親しみも感慨もあった。
青山脳病院に養子に出され、そこの娘と結婚した斎藤茂吉は、家庭人としては暴君だったらしく、長い別居生活を送っていたらしい。
長男である斎藤茂太さんも、お母さまである輝子さんについて、なかなかの人であると語っている。
幾分大人しそうな北杜夫は、『木霊』によると、ある人妻と不倫関係にあった時期もあるらしい。
もう、いろんなことが満載のご家族で、私の斎藤茂吉への憧れの念にあれこれ影響を与えてくれる情報満載の書物をあれこれ読んだけれど、作品というのは一人歩きするものだし、年を経た今に至っては、人間というのはそういうものなのだとわかってきたような気がする。
たとえば、先生業の人に対する気持ちも、人それぞれに違う。
先輩の先生は、
先生から、人間的な弱いところを見たら、生徒はホッとするんやろねえ・・・。
とおっしゃったが、私は反対。
強い人が好きで、できれば、誘惑に逆らって、強いところを見せてくれる先生の方が好きだった。
人間には強さも弱さもある。
ある先生に当たる方に、私がぽつんと言った言葉。
弱い人、って、得ですよねえ。
と言ったら、絶対に、
また、あなたはそんなこと言うて・・・。
と叱られるとばかり思ったら、きっとその先生も強い方なのだろう。
絶妙の間の後で、
それわかる。めちゃくちゃようわかる。ある程度まではそうやなあ・・・。
とおっしゃった。
ある程度まで、というのは味噌である。
本当のお金持ちは、本当に自分で稼ぐだろう。すみません。これでも最近、ちょっとだけビジネスマンになりかけているので、こういう表現をするけれど、手っ取り早くお金が手に入れたい人は、違う方法を考えるかもしれない。
本当の成功者は、結構苦労するけれど、ある程度までは作戦で行けるかもしれない。
というようなことかなあ・・・。
ある程度までは、という言葉の意味は。
斎藤茂吉の繊細な感性を好む気持ちは今も変わらない。
でも、家庭人として・・・、などというと話は変わってくる。
が、しかし、私は、文学を好むものの一人として、この際、文学での出会い以外のところは、目をつぶりたいというのが本音である。
お母さんのことが大事だったんですね!と、偉大な歌人に語り掛けたい。
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