top of page

文学にできること、強いては国語科にできること

  • 6月20日
  • 読了時間: 6分
実学ではないというそしりを受けがちな文学ですが・・・。
実学ではないというそしりを受けがちな文学ですが・・・。

昔、教師になりたかった私は迷わず文学部を選んだし、教育への思いはあったけれど、やはり文学だった。でも、大学に入り、法学部や経済学部などがあり、いつしか夫からも「趣味の学部」などと言われるにあたり、


そうか!文学ってそういうものなのか!?


と思うようにもなった。


確かに何かの役に立つか?と言われたら、実効性がない面もあるかもしれない。


大学をもう卒業しようかという頃に、私は映画理論に出会った。

ついでに美学という相当おもしろい学問があり、そこに映画も研究の対象になっているということも知った。


詩学と言う点で言うなら、美学は相当に役に立ったのだという私にとってそんなことがあるのか?と思った象徴的な事例は、アメリカのアイゼンハワー大統領の選挙戦の話である。

劣勢だったアイゼンハワー大統領勢力は、そこで美学を使う。

アイゼンハワー大統領は、アイクというニックネームであったらしい。


I like Ike!


アイ ライク アイク!


つまりは僕らはアイクが好きだ!

(この、アイ、アイ、アイという音にやられてしまったのである。理性ではない。すべては響きの美しさである。)


とシュプレヒコールをしながら歩く隊列の声に、いつしか人民が慣れてしまって、そこでみんながアイゼンハワー大統領に票を入れてしまったというのである。ほんまかいな?という話。(笑)


そういうことを美学及び芸術学の先生は、まことに面白そうに話されていた。


そこの彼氏!どう思います?

そこの彼女!というのと同じように、彼氏!も連発して学生を指名して意見を言わせておられた。


それに「戦艦ポチョムキン」の映画も観させていただき、あの名シーンの映画での効果を教えていただいた。

その後だったのだろうか?

文学の会の後輩から、「先輩、『アンタッチャブル』観てきてくださいよ!男のロマンですよ!」と女性であるにもかかわらず、そう言われた私の友達が「私らが男のロマンって言われてもなあ?」と言いながら、私たちは一緒に観に行った。


あの階段でも戦闘の場面。

「戦艦ポチョムキン」と同様に、若い母親が乳母車から手を放して、乳母車が落ちていくシーンがあった。その乳母車を、アンディ・ガルシア演じるイタリア系アメリカ人の警察官が戦闘が終わった頃に足で止めるのである。

赤ちゃんはニコニコしている。


そしてここのところ、毎日指導で結構忙しくしていたのだけれど、なぜかちょっと気分をリフレッシュということで、アマプラやUnextで、映画やドラマを見ていた。

新入塾生が多いと、それだけ気も遣うことになる。ありがたいことに高校生が増えた。

それも高岡高校生と他校だけれど、評定が限りなくオール5に近いというみんなよくできるお子さんたちである。


彼らには彼らの思いがある。

人と人との関係は双方向的なものなので、一方的にどちらかの思いを通すのではいけない。

教師のこうした方がいいということが、生徒さんのこうありたいにうまくマッチし、上手に折り合いが付けられて受け入れられてこそ指導は生きる。

どんなにかわいい生徒さんたちでも、最初はどちらも緊張する。


その神経を緩めたくて、一方で外出するときなどに本を持って行って少しずつ読むが、夜寝る前に一時、あるいは夕飯のついで?に連続ドラマを観たり、映画を見ていた。


ひょんなことで、堺雅人主演の「VIVANT」を観ることにした。

最初からもうどこかで見たことのある風景・・・。


それは名画である「アラビアのロレンス」だった。

あのピーター・オトゥール演じるロレンスの美しさ。あの目の色。

イギリスにも中東にも結局利用される形になってしまう、その真ん中に存在したロレンスの葛藤や狂気をうまく描いていたとともに、よくはわからないなりに、中東への憧れみたいなものが自分の内面に生まれるのを感じた映画だった。


かつて高岡高校のホーム・リーディングの課題に、『アラビアン・ナイト』が選ばれていたことがあり、相当にお付き合いしたことがあった。訳して読んでいくのだけれど、


えええ?これなんて言ってるの!?


と思うところにはかならず注があって、その注がなければ到底内容がわからないようなものだった。

それに、リムスキー・コルサコフの交響組曲「シェラザード」も大好きである。

思わず並びの本屋さんで『千夜一夜物語』を買ってきて読もうとしたら、訳者は、母校でとんでもない演説をぶったという、高校の先輩だった。(笑)

こんなお仕事をされる方だったのか!?と偉大な先輩のことを思った。(笑)


ということであれこれ思いのある砂漠の美しさの中に、あまり好きではない堺雅人がもう一人の堺雅人に何か言われながら、なんだかわからないスーツ姿で頑張っていた。


それからドラマの壮大なスケールに飲み込まれて行きそうになるのだけれど、国際的な要素もたくさん含まれているその筋の中に人間的な情愛や、ルーツへの根問いなど様々な要素が絡んでくる。


最近、他のドラマも観ていたが、書物でないドラマの中でさえ、メッセージ性の濃さに驚いてしまうことがある。

もう失礼な表現であることを自覚しつつも、敢えて言うなら、テレビを作っている人って、ここまでまともなの?と思わされてしまう。人間の本質を突いていたり、もしかしたら平成の時代ならおよそ気恥ずかしくて描けなかったようなこともどこか描かれているような気がしてならない。

美しい日本。相手の気持ちに耳を傾けることのできる日本人。

日本人の美しさをここまで照れずに表現せしめたのは、その発話者が日本人であることを離れた人間であるからかもしれない。


常々、古文を教えさせてもらっている立場で、学ぶたびに、日本語の美しさや日本人の繊細で心豊かな人間性を心底愛さずにはいられないと思わされてきた。若い頃には西洋の論理性に憧れ、どこか日本のあいまいさをもった文学よりも惹かれてしまったこともあった。

でも、国語の教師になって、いつも日本ほど素晴らしい国はないと思って来た。

だからこそ日本語の美しさだけは伝えていかなければならないとも思っている。


かつてセミナーで、「文学に何ができるか?」というテーマでお話をお聞きする機会があったが、この数日で、文学にできることをまたおおいに気付かされたような気がしている。


まだまだ。まだまだ文章にできることはある。

誰にだってできることがある。

自分の経験や知識を自分だけのものにしておかないという決意がありさえすれば。


 
 
 

コメント


Featured Posts
Recent Posts
Search By Tags
Follow Us
  • Facebook Classic
  • Twitter Classic
  • Google Classic
bottom of page