成功の要諦


自分の経験から言っても、いろんな人の話を読んだり聞いたりしても、とりあえず、続けることが大事だと思う。

続けていれば、何か仮にどこかで苦しいことがあったとしても、だいたいにおいてなんとかなるものだと思う。


私は若いころ、結構過程では、かなり苦しむのであるが、ーそれはもう、本当に真面目に取り組み、真剣に悩むのである。ーそして、結果的には、こういう結果になるんだったら、なんで、あんなに悩んだのだろう・・・?もう少し楽しめばよかったのに・・・、と思うことが多かった。


とりあえず、苦しくても、先が見えなくても、努力しておく、というのはいつも同じである。

もう、大きな大きな山に見えても、なんとか切り崩そうとしている間に、そのうち何とかなっているものである。

まあ、毎日数学の問題をちょっとずつ解くか、そうでないかの違いだと思う。


もっと具体的に身近なことで言うと、お料理を一つ一つ覚えることにも似ている。

料理好きになったり、料理が得意になったりするのって、本当に小さなことの積み重ねである。

きちんと訪朝できるように努力したり、家族のことを思って、味付けしたり、こうしたらもっとおいしくなるかな?ということをその都度考えていくことの連続である。

それをするかしないかでは、小さなことのようで、大きな差になってくる。

収納の工夫もそうだし、洗濯の仕方だってそうである。


それに、努力は認めたいと思う。

努力の仕方はそれぞれ出あって、その人その人努力の仕方が違うのに、一律に同じように努力することを強制したくはない。

それが証拠に、チェリーでは、その子その子に合った、努力の仕方を伝え、導いていく。


最近、おもしろいな、と思ったのは、日本史をテキストを替えて二周目の生徒さんに、今までは解説してノートをまとめて・・・、ということの繰り返しをしていたのであるけれど、全部終わらない先から、そうだ!そろそろ知識の定着のために、小テストをしてみよう!と思って、作成し、実施してみた。

今までも、たくさん社会のテストを作って来たのに、どうして思いつかなかったのだろう?と思った。

それは、流れをつかんでもらおうと思っていて、小さく知識を細分化すると嫌になってしまわないかと要らぬ危惧からのことだった。

小テスト2回目。

なかなかいい感じ。

この方法で行こうと思っている。


つい、この生徒さんには、○○はまだ・・・、とか考えてしまう。

固定観念のままだとよくない。

気付いたことを取り入れていく。

それが小さな個人塾の良さである。


ときに中だるみになる生徒さんには親御さんと共に面談をし、ときにシャキッとしていただく。

怒られ慣れていないとびっくりするだろうけれど、それは関係性を見極めたうえでのことなので、大抵は、頑張るほうに向いてくれる。


そうすると、お互いの関係性がより深まって、ますます指導に熱が入るというものである。



ある分野の受験をお預かりするとき、いい結果を出すために、小論文指導で、一度は、まるで対立するかのように、ギクシャクする時を経なければ、いいものを書けないし、結果も出ない、というジンクスでもあるかのような分野の受験がある。

それほど深い思考や、感性も必要となり、それをうまく伝えるための表現夜行性もあるのである。

せっかく一生懸命に書いてきたものに、こちたらがアドバイスするのであるから、なんで?と思うのも当然であるし、言われて少々腹が立つほどに頑張らないとできないというのもまた真実だろう。

当日まで、あわや喧嘩にもなろうか?というほど真剣な指導に持っていけたら、それはだいたい合格をつかんでくる。

こちらも真剣。ご本人も真剣である。


何度か小論文では、厳しいことを、心を鬼にして言ってきた。

職員室で、先輩の先生方が、ギョッとされたこともある。

たくさんの先生がこちらを見ていたけれど、そういう真剣さはたいてい生徒さんに伝わる。

一度泣き泣き担って、それでも書き直して、そうして指導したら、当日、同じ論題が出て、めでたく合格したということもあった。

沖縄出身の大きな魅力的な生徒の顔を今も思い出す。


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