怒っていたこと。ー大学の寄付講座をお聴きして。
かつて、おそろしいビジネスの話を聞いた。
それも、昨日、ネットで、ある記事を読んだから、まざまざとそのお話を聞いたときの心情を思い出したのである。
社会福祉の世界でご活躍されている、高岡ご出身で、有名な環境省事務次官まで上り詰められた、元官僚。
今も社会福祉の世界では知らない人もいらっしゃらないだろうという方である。
大学の寄付講座で、順番に富山県でご活躍の方の講義をお聴きした。
中には、もう胸が痛くなるようなお話があった。
かなり自分にとってはヘビーなスケジュールだったので、4人の先生のうち3人目の先生のお話までしかお聴きすることができなかったのに、その3人の方が、成功の秘訣、だったかについて、こともあろうに、信用ーcreditということをおっしゃった。
どの方も日本の中でのトップ・エリート。
競争意識や向上心ではなく、信用、とおっしゃったのが印象的だった。
その中でも、福祉の世界でご活躍の先生は、貧困ビジネスについて、サラッと言っておられた。
生活保護の人を集めて住まわせて、そして、コンビニなどのお弁当で食事にして・・・、人として、聞くに堪えないお話をサラッと話された。今までどれほど胸を痛めて来られただろう。一つ一つに心動かしすぎては何も動かせなくから、ある種の客観性を持たなければならなくなるのだろう。
私などが、教育の問題について深堀し過ぎて、一人の子にのめってはいけない、自分が燃え尽きてはいけない、と言われるのもそれに似ていることだろう。
けれど、素人の私たちが聞くには恐ろしい話だった。
正直、私は福祉は得意分野ではない。
福祉、というと、私は、結構敏感になり、私などが到底できる仕事ではないことばかりにぶつかる。
きれいごと大好きな私がきれいごとで済まないところにぶつかるのである。
なぜか近寄れない分野である。
そんなこと思いつけるんだ。
つまりは人の弱点を利用して、自分たちが甘い汁を吸う、ということになる。
世の中のどこかにある話として知ってはいたけれど、胸がつぶれる思いがした。
最近、貧困ビジネスならぬ、違う弱者を使って・・・、という現象が現れてきているらしい。
どちらにせよ、自分の身を守るのは、知識である。
特に社会科の知識。
これは正当なことなのか?
自分の人権が侵害されてはいないのか?
何も知らなかったら自分の身を守ることはできない。
昨年の中三生には、社会が好きな子がいて、ときに語り合った。
なぜ勉強すると思う?
自分に何か起きたとき、自分の身を守るのは自分なのよ。
自分が知っているかいないかで、変わることは大きい。
人権を守るのは自分。
でも、人権の意識すらない人もいるのかもしれない。
知性が理性につながるから・・・。
あらあら、最近学んでいる哲学がここにもあるのかもしれない。(笑)。
そう言えば、かつて、『正義の哲学』という本を図書館で借りて、夢中になって読んだことがあった。
いわゆる正義感、というようなものでも、誰にでもその人なりの正義がある、というような心理学的なものではなくて、もっと実践的な正義の話だった。
少し、絡むことがあって、考えることがあって、私は寄付講座でのお話を思い出してしまった。
昨日は、正直落ち込んだ。
最初は怒っていたけれど、次にどうしようもない寂しさがやって来て、やるせない思いになった。
みんながしあわせになれる世の中にしたい。
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