尊敬できる人
自分の勉強なり仕事なりに責任をもって、そして自分が間違ったら、潔くそれを認めて、そして、それなりの対応ができる人って、尊敬できる。
プロの仕事に感情を入れる人は好きではない。
自分の生徒、その保護者になられたら、私はいったん、好き嫌いを横に置く。
そして信じることに決める。
その段階で、クライアントではあるけれど、お子さんの成績を伸ばすという、同じ目標に向かって、同士となるわけだから。
モノを売ったり、あるいは、その後、お付き合いをして、その販売した先にそれなりのメンテナンスをして、フォローしなければならないのに、それを嫌がったり、いやいややったり、対応できない、というのでは信用できない。
その相手との相性もあるだろう。
でも、ものを販売するときには特に、お客様の好き嫌いを言ってはならないと思う。
それに嫌いな相手にものを売らなければいいのである。
少なくとも対価の、いや、対価以上の仕事をしようとするから継続するわけで。
最近、当然受けるべきサービスに気づかなかったということがあった。
1人の人がきちんと説明して、ああそうなのか・・・、と思ったのを覚えているが、そのあと、使うことができない旨の説明を受けたらしい。
状況証拠的に、そうなる。
だって、その一人の人の以前の仕事を失くすのだから、それなりに、申し訳ない思いをしていたと思うのである。
今更言っても仕方がないことなのかもしれないが、意地悪とでも思わなければ、ありえない話である。
世の中に一定数、そういう人はいる。
素敵な人がいるのだから、もちろん、そういう人もいるだろうし、一生、素敵な人ばかりに出会うとは限らないし、そして、全くお得なことばかりではなくて、時には勉強代のように、それなりに損をすることもあるのだろう。
それと、しっかり補償をしなければならない人がいるのとは別物として。
でも、そういうことしたら、その人に返って行くのが世の習いである。
まだ自分に返ってくるのならいい。
自分にとっての大切な人が、大事なところで良くないことになることって多い。
お金はお金だけの働きをするのではない。
お金なんて、どこかで損した分、どこかで返ってくればいいだけの話であるが、信用は人もお金も動かすことができるが、信用をなくしたら、人もお金も動かない。
誰も動いてくれなくなる。
それがどうしてわからないのだろうか・・・?
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