大学受験指導での心通った思い出の数々-高岡の大学受験個別指導塾チェリー・ブロッサム
- 6月27日
- 読了時間: 6分

今日、この春卒業した大学生から、突然のラインが来て、それも大学の様子がわかるラインだったので、思わず昨年の今頃の出会った頃からのことを思い出していた。まるで走馬灯のように思い出が次から次から蘇る。
心に残る生徒さんっておられる。
一人ひとりを覚えているのだけれど、やはり特別に思い出のある生徒さんっておられる。
それなのに、どこか最近は、心と心が通じある指導になっていたかと思わされることもあった。
昨日中学生の指導をしていた時のこと。
二人が居眠りしてしまうのである。
男女の別はあっても、彼らは同じスポーツをやっている。
よほど疲れるのだろうか?
いろいろ考えてみた末に、その二人の共通点に思い至った。
どちらもお姉さんなりお兄さんなりが相当に優秀であり、かつての、あるいは今の私の教え子でもある。
正直、高校の授業でも、予備校でも、私の授業で居眠りというのは若い頃ならいざ知らず、あまり見られない現象である。
もちろん、何かその子自身の身体に問題があって、薬を飲むなどの対応が必要なことはあるだろう。
でもそういうのでもなさそうである。
彼らの姿を見つめながら、あれこれ思いを巡らしていた。
もしかしたら、これって結構プレッシャーなんじゃないかな?
期末考査を前にして、できないとどうしよう?お兄ちゃん(お姉ちゃん)はできるのに・・・?
そういう気持ちでいっぱいかもしれないなあ・・・。
と私の気持ちがその彼らの気持ちを感じ取ろうとした瞬間に、彼らはいきなり、鉛筆を動かし始めた。
えええ?えええ?
でも教師をしているとこういうことは割とよくある。
授業が始まっているのに、何か他のことに心が行っている。
それをすぐに咎めるのではなく、一瞬だけその子の気持ちに沿ってみる。
そうして、時にはその彼らの興味関心の向いていることに話題を乗ってみたり、あるいは話題を振ってみたりする。
二人ともお兄ちゃんもお姉ちゃんも優秀だから、大変だよね・・・。
思い切り単刀直入に振ってみた。
わかるよー。世の中勉強だけじゃないと言ったって、やっぱり気になるよねえ・
音楽も指導していたので、ちょうどテスト範囲になっている滝廉太郎の「花」の伴奏をピアノで弾いて、ついでに歌も歌ってみる。
余裕のなかったのは私である。点数を取らせなくちゃ!何とか頭に入れなくちゃ!
ピアノを弾いているうちに後ろにいる彼らはさらさらさらさら鉛筆を動かした。
ついでに今私が良く弾いている、「悲愴」やミスチルの「Tomorrow never knows」も弾いてみる。
二階にいる自習室の生徒に迷惑じゃないかな?と思いながら。
そうしたらその後の勉強はめちゃくちゃ進んだ。
それに自習が終わって指導に降りてきた生徒たちが、
先生、最近ピアノよく弾いてるなと思って・・・。
とか、
途中でピアノ弾いていたけど、うるさくなかった?
と訊ねたら、
いえ、めっちゃ上手でした!
と普段そういうことを言わなさそうな子に褒められた。
そうかそうか、そういうことだったんだな。
かつてはコーヒーメーカーを半ば自分用にカウンターに置いて、眠そうな子がいたら、
ちょっと飲む?
と言ってコーヒーブレイクを入れたり、チョコレートをちょっと分け合ったりして、勉強の合間の休み時間を効率的に使っていた。
でも、どこか世間もコロナ禍から後、どこかぎすぎすしているようで、指導させていただいている私の方も、そういうことをしている間に、勉強させなくちゃ!という気持ちばかり担って来ていたように思う。
チェリーの成績的なレベルは上がってきている。
でも、そういうことって大事なんじゃないかな。
人なんだから。機械じゃないんだから。
そんなこんなを思った昨日の指導だった。
チェリーらしさって?
そういうところにあるはずだったし、勉強に大変な彼らだからこそそういうゆとりを持たせてあげたいと思ってきたはずだったのに。
まるでダイニングで、母が夕飯の支度をしているところで、今日あったことを話しながら勉強していて、その時間にホッとしていたように。実際私の友達も、
自分の部屋ではなくて、台所のテーブルでお母さんに部活のこと話しながら勉強してるねん。
と言いながら、
〇〇の悪口も聞いてもらうねん。
と私のことも言っていたらしいが、私の母に言わせると、その友達は、
結構きついことを何でも思った通りに言う子と違う?
と言っているというありさまで、ちょうどおあいこという具合だったりもした。
こと吹奏楽は激しくなりやすい。今思い出したら、その場にいる教師だったとしたら、私なら自主自律だとか言っている学校であっても、仮に越権行為だと言われても、この学校に合わないというそしりを受けたとしても、
いくらなんでも、I高生であっても違う!
と指導を入れるべきこともあったと思う。
勉強ができて、実力があるから何でもいいというのではない。
そんな中でそれぞれに責任もありながら、まだ相手のことを深くはわからず表層的にしか理解できない面もありながら、ちょっとしたあれこれもありながら、何とかやっていたのだろうと思う。
そんな彼女が私のことを羨ましがっていたことがある。
○○のお母さん、いっつもお弁当に夏みかん(?)の皮剥いて入れてくれてはるなあ・・・。
と言っていた。
いろいろいろいろ。
お父様が、○○大学をトップで卒業、とか、T大をお出になったとか、そういう話の裏で、前日のご家族での人には言えないような出来事をお弁当の時にあれこれ話していたものだった。
いろいろ大変だった。
世間のいろんな人からは、羨ましがられるはずの学校にいるのに、お弁当を一緒に食べながら話していたことにはそういうことも結構あった。
そういうことをどう捉えるか?
だから、頑張らなくてはいけなくても、みんな人間である。
いくら成績が良くても、心がある。
そんな中で、私はいつも正直に、辛かったら辛い、悲しかったら悲しい、嬉しかったら嬉しいと無邪気に表現していたのかもしれない。それに結構何もしなくても素の状態で可愛がられていたりもしてたっけ。(笑)。
幼稚園の頃から、無邪気で感受性が強いと言われていたので、高校では中学でよりも(みんなができるから?)素のままの自分を出してもいいとでも思っていたのかもしれない。
でも、○○(私ではないけど。)は、自分が一番苦労してると思ってる・・・。
とほかの子のことを言っていたその子も、自分の苦労を思っていた。
そして私は私で、自分の苦労を思っていた。
だからみんな自分は大変と思っていた節があるのだと思う。
周りから見たらいいなと思えることでも、その実際はそうでないことも、本人はそう思っていないこともある。
チェリーに来る面々も、時間の流れと共に、それぞれにもつ課題も変わってきているということなのかもしれない。




















コメント