大学受験国語について・・・。
最近、高校の課題の問題集に取り組んでいても、共通テストを意識した構成になっていたり、あるいはより思考力や感性を磨こうとしているような傾向になってきている気がする。
解いていて面白いものも多い。
ただ、解答の解説がデジタル的になりすぎて(これは問題集という性質上、学習者が理解するために仕方のないことではあるが。)、一度自分の身体の中に、いや、心や頭の中に入れて、全体を消化してから自分で解答を構成する、という力が育ちにくいなあ、と感じている。
カリキュラムの中で、学校の先生方が、精読の時間をたくさんお持ちになるのは難しいことだろうし、また、一方で大学受験のための国語について、そうそうたくさん解説する時間を取ることも難しいだろうなあ、と思ってみたりする。
実は、大学受験指導をしていて、昔ながらの国語の力を持っている子に時折出会う。
今も、1人、あまりにも解答の構成がうまい子がいる。
一つ一つ言葉を丹念に拾うというような作業をしている様子もないのに、自分で内容を受け止めて、設問に答えているので、非常にこなれた解答構成ができているのである。
私もそのタイプだった。
高校教員時代は、それをいかに根拠づけて、論理的に、説明ができるよう、工夫していた。
○○だから○○、のような。
教養であるとか、難解な文章を読むための基礎力養成になっていないのではないか?と危惧している。
血の通った国語を教えたい。
学校の先生方の作成される問題を拝見していると、先生方がどれほど一生懸命になっておられるか?ということが伝わってくるし、ときに、国語と言わず、いろんな教科でいろいろ知的な楽しい工夫をされていて、思わずにっこりしながら生徒たちの復習に付き合っていることが多い。
しっかりファンになってしまっている先生もいらっしゃったりする。
お目に掛かっていなくても、ああ、○○先生ね!というような。
チェリーの生徒たちは、国語は大学受験を迎えるころには、だいたい理系でも国語がトップに出てくる。
長く通っておられる場合であるけれど。
その中で、U先生はよく私にからかわれている。
だいたい、中学から見ていて、当日国語がトップじゃなかったの、先生くらいだよねー!と。
まあ、数学や物理や化学がとてもできた、というのが真相ではあるのだけれど。
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