大学受験における人生の精算
以前勤めていた学校の先輩に教えてもらった。
一度目は大学受験で、二度目は結婚するときに、それまでの人生の大きな精算をするのだ、と。
とりあえず、合否だけが結果ではないにせよ、何で合格したのか?そうでないのか?という点において、不思議な結果があるときは、何らかの力が働いているように思われる。
やはり正直が一番いい。
対価は支払うべき時に払っておく方がいい。得したかに思えても、なかなか得などできるものではない。
人に何もせずに利益だけを得ようとしてもそうは問屋が卸さない。
人にした分しか返ってこない。
時間も人のために使った分しか自分のところに返ってこない。
人のためにしなければならないことは、サッサとしておいた方がいい。
たとえば社会のためになること、あるいは母校でのお祝い事など。
なぜか正直者が得をするように思えてならない。
地味だった先輩で、いつも謙虚で、周りに嫌な思いをさせない人はなんで?というほどいい大学に入られた。
後輩で、いつも生意気なことばかりを言って、人の弱点をつつくようなことばかり言っていた人は、なんでまたそこには行ったの?という結果になった。
だから、私は人が良くないことをしても、私の近くに寄ってさえくれなければ、勝手にどうぞ、と思っている。
どの道、その人が自分に振り替えるようなことをしているのに、わざわざ絡んでいって、あなたは間違ってますよ、とまでは言う気もない。勝手に自分の行いの償いをすればいい。
ただ、私のそばに来て、人の仕事なり、生活なりに影響が出るようなことをしたら、厳しく言う。
きちんと○○をしてください。でないとお付き合いできません、と。
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