国語と同じくらい料理も好きです!
どうもお料理は、味を外さないようである。
若いころに、たくさん本を買ったりして、あれこれ作ってみたことが多かったからか、最近、何を適当に作っても、おいしいと言われることが多い。
息子が小学校低学年の頃、よく、このカマスおいしいなあ・・・、とか、餅巾着と大根の簡単な煮物を食べて、この、お口の中でじゅわーっと広がる・・・、おいしいなあ・・・、などとアホな表現をするのを聞いて、あんたがどこのご飯を食べてきたっていうねん!?と思っており、外食をあまりうれしがらない子どもたちに、仕事が忙しいときには不平を思っていたけれど、本当にそう思ってくれていたのかもしれないなどと、今更ながらに思っていたりする。
合印を表現するソムリエのように、何かを食べてはおかしな表現をするので、例えば、あの、お口の中で広がる、なんとも言えないまったりとした甘ーい・・・、とか給食で食べたおいしいものについて、言ってみたりするので、心の底から、こいつアホやろ・・・、と思っていた。誰や!こいつ産んだんわ!などと思っていたけれど、まあ、おいしいものはおいしかったのだろう。
昔イオンにあった、紅茶屋さんでも困った。
イオンの入り口のに入った途端、試飲用の茶葉のあるテーブルに走っていき、茶葉の入った入れ物をもって、鼻でクンクン香りをかいで、その勢いで右手をその器を持ったまま斜め上方にまっすぐ上げて、これ買って―!と大きな声で言うのである。
こちらの財布の中身も考えてほしかった。
そういう君たちの要望を応えるために私は働いているのだけれど、なんとも、ひどい話で、誰が植え付けたのか、自己実現などという言葉を知っており、「ママは自己実現のために働いている・・・。」と友達のお母さんも前で言っては、たしなめられていた。
自己実現のためだけに、熱があっても教壇に立つだろうか・・・?よく考えてみろよ!と言いたかったが、彼らはすっかりそう思っているので、そんなこと口に出すこともできなかった。
かくして、母が働くことへの理解は、母の希望という構図が出来上がっていた。
私はもう、子育ての時期を過ぎているのでいいけれど、どうも母が働くことに厳しい子どもたちが多いような気がする。
そういう役回りと言えば言えるし、そういうところを受け止めることができて母だという方もいらっしゃるだろう。
でも、これからの若い世代には、女性が働くことに対しても、家事に対しても、そして育児に対しても、私たちの時代よりはもう少し理解を持ってほしいと願っている。
女性の力って、勉強だけではないし、もっと違う意味での賢さってある。
家族を支える力。
でも、いくら何でも、母だけに、妻だけにその役割を果たさせようとするのには無理がある。
ほんのちょっとの気配り。ほんのちょっと自分のことだけ考えるのではなくて、相手のことを少し思いやることは大事だと思う。
経済的な力だけでは測れない大変さがあるし、誰かが支えてくれるから、自分が外でのびのびとやっていけるのかもしれない。
そのことを忘れてもらいたくなくて、よく生徒さんに言うことがある。
誰のおかげでここに来れていると思っているの?
誰に受講料払ってもらっているの?誰に送り迎えしてもらっているのよ!
高校は義務教育ではないんだからね!
などと、もしかしたら我が子に言いたかったのかもしれないことを、塾生のお母さまのために言っているのか、自分の気持ちを言っているのかわからない言葉を突然口にしてしまうことがある。
だいたい、女性の力をもっとしっかり評価すべきである。
と言いながら、ちょっと偉そうにさせてあげるのも、それはそれで女性の力ではあると思ってもいるのだけれど・・・。(笑)