共感の雨晴
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とにかく何かあったら雨晴に車を飛ばします。
ちょっとお出かけした帰りにも雨晴に行きたくなるし、何かに悩んだ時も、嬉しいときも、気晴らしにもちょっと行きたくなるのです。
子どもたちが小さいときもよくドライブに行ったり、そのまだちょっと遠くの海水浴場にもよく行っていたので、思い出の雨晴でもあります。
何度も何度も来ているのに、母が大阪から来てくれて、ドライブした時には、これほどの晴れた雨晴があろうか?と思わされるほどの姿に出会ったこともありますし、遠方から講師として来てくれていた若い先生のことで思い悩んだ時に一人で来たときには、逆に晴れていなくて、重ーい鉛色の空と、ざぷーんと荒く波打つ海の色が、その時の自分の心にマッチして、自分の思いまで吸収していってくれるように感じたこともありました。
今日の私は、ちょっと晴れやかな気分とちょっと重たい気分のどちらも持っていました。
検診になど引っ掛かりたくなかった。でも、その検査結果はそうそう大したことではなくて、でも、それでも様子見をしなければならず、私が死んだら自分も死ぬなどと言った人の顔がちらつきます。その人が死んだら、残された人が困るわけで。その残された人を困らせるのは嫌なのです。
私の全生命をかけて守ってきた人なのです・・・。
などと表現すると、どっかに重たいドラマでもありそうですが、単純に家族周辺の人たちのことを、ドラマチックで恥ずかしくないように表現してみただけです。(笑)
自分は結構いろいろ経験させてもらってきたし、女の極み!というような生活も、ザ・仕事人間!的な時期も経験しました。
結構彩り豊かな気がする・・・。(笑)
いろんなところに住んでも来ました。
ただ、いくつになっても人間というのはまだまだ味わい深く、どうしてそういう気持ちになるのかな?と分からない人の表現にも出会います。
今も不思議なことがたくさんあります。
一生かけても人について私なりに改名することなどできないだろうな。
紫式部だって、『紫式部日記』の中で、相当人間関係に悩まされていますが、今の人間関係にも通じるようで、人の心なんて時を経てもだいたい同じようなものなのか・・・?などと考えてしまいます。
なんだかまとまりのない文章になってしまいました。
名にし負わばいざ言問はん都鳥わが思ふ人はありやなしやと
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