傲慢さとの闘い
私は、自分の力で、というか、自分の努力でなんとかしよう!と、ついつい頑張ってしまうところがある。
今日、この考え方、受験においては、よくないなあ、と思うことがあった。
表現の仕方の問題かもしれない。
でも、なんだかニュアンス的に表現だけの問題ではないような気がした。
若い頃、私はわりと言いやすいのか、注意されることが多かった。
それは、本当に言いにくいことを言ってくれている場合もあれば、相手の感情論の場合もあったのだろうと思う。
ただ、あまり人の言うことを、変に曲解しない性質だから、まともに受けて、変な努力の仕方をしていた。
だから、おのずと、努力もし、いつの間にかできるようになったことも多い。
これは言っておかなければ、と思った途端、胸が締めつけられるように痛くなった。でも、言わなくちゃ、と思うと、また、すごく痛くなった。
たぶん、ほかの人間関係なら、構わない、か、嫌なら離れる。
いちいち指摘するほどの親切さなど持ち合わせていない、と言うより、立ち入るつもりがない。
しかし、受験をお預かりする生徒さん。
話した。
でも、後悔した。
そこまで、親身になる必要、あるのだろうか?
その姿勢で、結果が変わるなら、それも致し方ないのかもしれない。
教師人生の中で、初めてそう思った。
真剣に初めて。
その一瞬、私がそのことに関わり過ぎて、労力を使って、ほかの指導に差し障りが出てはいけない。
冷たくなるつもりは、サラサラない。
ただ、人と人との境界線、という意味では、そんな話、しなくてもよかったなあ、などと考えているのである。
そこをなんとかしようというのは傲慢なのかもしれないなあ、と。
真剣に人材育成してきたし、しているつもりでもあるのだけれど。
小巻あやさんのお話を読んで、そんなことを考えていた。
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