価値観の転換


今日、中学国語で、相手の身になってみる、ということを記述式問題で書かせる問いがあった。

その解説を一生懸命していて、一度内容を自分の身体の中に入れて、解いてる?頭で解いてない?と訊いてしまった。


相手の身になってみる、ということは、一度自分の価値観を置いておいて、客観的に物事を見るということだ。

仮に善悪で言うところの、悪いことであっても、とりあえず、自分の考えを横に置いて、そして、その立場ならこういう風に見えるかもしれない、という余裕をもつことでもある。


こういう価値観の転換って、生まれ故郷から離れて住んでみるとか、どこか外国に行くとか、今までとは違う業種で働いてみる、などということでもなければできるものでもない。


私は何十年もかけて、あちこちで価値観の転換を行ってきたような気がする。

困った相手であっても、あちらから見たら、○○ということになるのかもしれないなあ・・・、などと考えてきた。

理解すれば、怒らなくて済む、とばかりに、あれこれ理解するように努めてきた。


それでも、自分の理解が及ばないこともたくさんある。


私は、荘子の相対的な考え方が好きだし、老子はもっと大きく包み込むような価値観の転換をはらんでいて、より大きく感じるし、禅の思想も、それほど知ってはいなくても好きである。

絶対的に正しいということはないかもしれない。

けれど、相対的にみても、やはり理解できないこともある。


昨夜、アマゾンで、あるものを頼んだり、キャンセルしたりと忙しかった。

その途中、当然のように本が読みたくなる。

実務的な本ではなくて、急に哲学や、倫理学、精神分析の本が読みたくなる。

フランクルの本を読んでいると、どんなことが起こっても、生きていくことが尊いことなのだと思わされる。


人生に意味を問うてはいけない。

人生の方から意味を問うてくる。

それに答えを出すのは自分。

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