今から楽しみな「哲学カフェ」ーカント『啓蒙について』
今日は「哲学カフェ」の日。
ひと月に一回のお楽しみ。
とはいえ、毎年、講習時期や受験期にはしばらくお休みする。
11月の回もお休みになるだろうと思っていたけれど、あまりに関心のあるテーマなので、なんとか時間をやりくりして出席させていただくことにした。
カントの『啓蒙について』を土台に、「人間は賢くなれるのか」というテーマである。
実は、『啓蒙について』は、初めて読んだ。
でも、ここにすべてがあった。
勇気、というのは、私の仕事人生において、もっともよく言われた言葉である。
最重要ワードかもしれない。
どういう場面で、どういう文脈での表現かは詳細には言えないにしても、とりあえず、蛮勇とも言える勇気を出して、そうした言動を、自分の良くない一面としてとらえなければいけなかったのかなあ・・・?と100%のうち、5%くらいは思っていて、どうしてもそうせざるを得なかったし、それをしなかったら、一生後悔したであろうこともわかっている。
それでも、私的な自分のことを考えると、やはり言わなければ、しなければよかった、と思うこともある。
経営者になったから・・・、と参加したセミナーで、長年、疑問に思っていたある企業についての質問をして、
「厳しいことを言っていただけるお客様こそ大事で・・・。」と嘘か本当か、言ってもらったけど、
仲良くなった女性の社長さんにも、
「あなた、勇気があるのよ!」と言われた。
ほとんど勇気だけで生きてきたような気もする。
たいていは受け止められ、受け入れられてはきた。
それでも、何かに穏便に、現状維持をこそ良しとする場には合わなかったと思う。
だから、自分でやっていくのが一番いのだということもわかっている。
恋愛面では逃げてきたこと多数ある。
関係性をはっきりしなかったことも正直ある。
男女の友情を信じて、仕事や勉強で助けてもらったこともある。
しかるべき立ち位置にいようと努力したことも。
そういうことって、いちいちしっかり決めると、逆にギクシャクすることもあるとでも思っていたのだろう。
言葉に出して表明することだけが品性というものでもないだろう。
第一、関係性は続くけど、そういうのとは違う、ということだってあるし。
でも、それ以外の場面で、逃げてきたことなどほとんどない。
仕事は、何かにはっきりすることを求められる。
たくさんの人数で動くときには、明確にしなければならないことがたくさんあるし、そうしなければ進まないことも多い。
剛毅と勇気の違いを、カントは明確にしていた。
私は、剛毅という言葉が大好きだし、ボッティチェリの作品である「剛毅」という作品は大好きである。
剛毅を性質、勇気を徳としてカントは捉えている。
教育ともつながる勇気という言葉。
こんなときに、こんな形でつながるとは正直思っていなかった。
それでいい・・・、と言われているような、作品との出会いであった。
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