人生で最もしあわせな日ー○○年前の今日娘が生まれた日
もちろん、一生のうちで最も幸せな日、ということになれば、○○年前の今日ということになるだろう。
朝の3時25分に生まれて、その頃の私は、まだ安静にということで、赤ちゃんが側にいないけれど、喜びいっぱいで、喜びと神経が張って、いったい何が起こったのか理解できていなかった。
ただ、赤ちゃんを産むというとんでもない偉業をやってのけたということで、それまでの人生の節目である受験であるとか採用試験であるとか、失礼極まりないけれど、思い切り相手の頑張りで挙げた結婚式だとかなんて全然大したことだと思えなくて、私は、この子と出会うためだけに生きてきたんだと思えるほど嬉しかった。
こんなにすばらしいことを、女性の多くは太古の昔から経験してきたんだな、とつくづく思った。
今でも、仕事と赤ちゃん生んで育てるのだったら、どっち選ぶ?と聞かれたら、その素晴らしさにおいては赤ちゃんを産むことを選ぶだろう。
私は思ったより母親だった。
それまで私のことを仕事人間だと思っていたのに、私が専業主婦に収まって子育てしているのを見て妹が、
お姉ちゃんみたいな人がこんな風に家に収まるねんなあ・・・。
と言われるほど、子育てが楽しかった。
この子を一生掛けて守り抜こうと思った。
だから、娘が生まれて一年の冬、湿気と寒さに身体が反応して、朝起きられないことがあり(大抵家の中では気付かなくても、外では雪が降っていた。)、世話できなくて申し訳なく思ったことも多かった。夫も仕事で忙しかった。
こういうことって、ただただ都会から来た娘のわがままではなくて、気候に慣れるまでは仕方がなかった面もあるし、周りが配慮してくれてもしかるべきことだったと思う。
同居していたときに、体調を崩したら、夫に、
お母さんに、不摂生して申し訳ありません、って謝っとき・・・。
と言われた。
一心に自分を責めて、本当に申し訳なく思っていた。
相手のもっているものを否定するか、それとも良さを認めて生かしていくか?そのことによって、家庭というものの発展性は変わるし、そのために子育てにも影響するだろう。
私は、自分も反省するが、周りの配慮や意地悪などを思って、まずいやり方だったなあ・・・、と思ってしまう。
人は生かしてなんぼ。誰かのメンツのために誰かがいるわけではない。
娘は、従姉の女の子よりも絶対に出てはならない立場でいた。
夫が、
この子目がいいみたいで・・・。
と喜んだら、姑は、
そんなこと言われんなま。○○さんとこのことがあるのに・・・。
つまりは義妹夫婦が目が悪いので、娘の子どもが目が悪いかもしれないのに、そんなこと言うな、ということだった。
うちの娘にいいことがあっても喜んではくれない。
娘のために、生協さんで、ちょっと素敵な遊具を買ってあげていたら、
あら、失敗した―。○○さん所に、私、こんないいものあると知らんと、滑り台とブランコしか送らんかったわ。
もう、家のことがちょっとでもよいことがあると、そちらにどんな影響があるかということしか考えておられない。
息子夫婦の仲を壊したいとしか思えなかった。
娘を見ては、笑って、
この子見とったら、○○ちゃんとおんなじに見えて仕方がないわ・・・。(笑)
その○○ちゃんというのは、お義父さんの妹さんで、それはそれはご苦労しているおばさまのことだった。
それだけ嫁の子どもは憎いということか?
というよりも、とにかくご自分の娘さんの値打ちを上げるのに必死で折られたようだった。
お義母さんの気持ちを理解しているのか、そんな母親に夫は何も言わない。
ただただ、私は娘が不憫でならなかった。
生まれる前も、私の生活にあれこれおっしゃって、あまりに厳しくて、夫が何か言ったときも、
私は、○○ちゃん(妹さんの娘さん。)みたいな子がほしいが・・・。
とおっしゃっていたが、家の娘が丸々太った子豚のようで、髪の毛も黒々して、どーんとした感じで生まれて来たら、産院で、
おもしろくなさそうに、
ああ、これで○○ちゃん(妹さんが二子を妊娠中だった。)のいいお手本ができた。あんた、何食べとったがー?なんでこんないい子生まれたがー?
どれもこれも夫もお義父さんもおられないところのことである。
私は喜んでもらいたくて、それも、お義母さんの意地悪も、一生懸命に私のために言ってもらっていると考えようとして、その意地悪から、胎教に影響して、健康に生まれてくれるか心配していたのに、元気な子が生まれて嬉しくて、
お母さんのおかげで・・・。
と言った後のことだった。
娘が生まれた嬉しさと、これからどうなるのだろうと心配とで、ちょっと複雑になったのだった。
婚家に帰った後は、お義父さんは、
これからは内孫と外孫をしっかりけじめを付けさせてもらうから。
とお義母さんにおっしゃっていたが、いつもお義母さんの心にあるのは、妹さんと妹さんのお子さんばかりだった。
一生懸命に守って来た。
お義父さんやお義母さんや妹さんの悪口だけは言わないで頑張って来た。
よほどホッとしたのだろうか?
こんなこと書けるようになるなんて。
おめでたい日にごめんなさい。
でも、人生はきれいごとだけでは生きていけないから。
ときれいごと大好きな、そしてなんでもいいことだと考えてしまいがちな私でも、やっと今頃気づいているというわけで。(笑)
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