人への言葉は自分への言葉らしい

もし、人生でやり残したことがあるとしたら、何だろう?
と思ってみて、候補を挙げてみる。
やはり読んでいない本がまだまだたくさんあるということが一番大きいなあ、と思う。
大好きな老荘思想の本も、カントもハイデガーも、ルカーチもホイジンガの作品もまだ読めていない。
憧れのフロイト全集も購入する前に、きっと絶版になるだろう。
ドストエフスキーの全作品を読み切ってはいない。
意外に哲学とか歴史の本が読みたいんだなあ、と思う。
最近は、病院の待ち時間が、紙の本を読む時間になった。
それはドラッカー。一応経営者の端くれ。(笑)
それから、眠る前にkindleでビジネス書を読むことも多くなった。
これは生き方を反映しているので、いかに生きるか?ということを考えるのにいい。
結局は受験にしても仕事にしても、その人を反映するものだから。
その人の根幹部分はなかなか変わらない。
けれども、変わっていこうという意志があれば変わることはできる。
長い間、自分というものを変えることができずに、困っていた時代があった。
ある日、ああ、これはきっちり話さなくてもいいのだなあ、正確に伝えようとしなくていいのだなあ・・・、と不意に思えたときがあった。
別に頭を下げたっていい。
謝ってもいい。
ちょっと自分の主観から離れて、相手からはどう見えているか?ということを考えてもいいな、と思ったのである。
誰かと何か意見が食い違ったとき、いったん降りるということをしてみる。
今はあなたとその話をしません、と言ってもいい。
というのは、ある先生が教えてくださった方法である。
今はやめましょう・・・、って言ったらいい。
この言葉に私は自分の一生を左右することになることに出席するか、出ないかを左右された。
私の一大事に、酷な話ではあるが、行っといで・・・、と言ってくれた人。
もし何か言われたら、それはこれが終わってからにしましょう、って言ったらいい。
そこに行くには、相当な勇気がいった。
罵声を浴びせられるのを覚悟で行かなければならなかったから。
でも、結局は、大方全員の人が私が間違っているわけでもない、と思ってくれていて、ちゃんといろいろ助けてくださったのだった。
今でも感謝している思い出。
行っといで・・・、と言ってくれたその方にも、そして、もう針の筵のようなその席で、協力してくださった方々にも。
そういうとき、自らがどう処するかということは、いろんなことの経験も必要だけれど、やはりいかに本を読んでおくか?ということに関わってくると思う。
そう言えば、娘をハメたことがあった。
中学校で、読書感想文を提出しなければならなかった夏休みの宿題を書くのに、私はときに変な茶目っ気を出すというか。
この娘が、一歳のときに、鉄棒とブランコとつり革みたいなのが付いた部屋の中のおもちゃを買ってやり、そして、つり革に手をやり、握らさせ、申年の娘に、「サル子!」と大きな声で号令を掛けると、申年娘は、必死で手足をそのつり革に合わせて手と足を重力と反対の方に曲げるのである。顔を真っ赤にして、本当に真剣な顔をして、真面目な顔で、「私はサル子をしなければなりません。」というように真面目にサル子をするのである。
母も真面目な顔をするのである。真面目な様子でやっている自分も、娘もどこか客観的に見ると可笑しいのであるが、それは真面目なことにしておく。
それと同様に、夏休みの宿題のための本を「選んであげた」。
それは、自分が高校教諭時代に、角川文庫の夏の100冊に選ばれた、高校生用の本だった。
何食わぬ顔をして、これいいんじゃない?と言って、本棚から文庫本を取り出して渡した。
何気に、変に真面目というか、素直な、というか、単純な娘は、母の言うことを素直に聞いて、読みだした。
ちょっとお茶目な気分で・・・。
そして、キャンプに行っても、娘はその本を読んでいた。やはり真面目?
少々、この子はちょっと・・・。全然母を疑わないのか?と横目で見ていた。
キャンプではよそのお父さんに、「これ、漫画やろ?」と言われて、「なんや、真面目な本や。」と言われるほど真剣に読んでいた。
半ばを過ぎたころ、もう読むのをやめることはないだろう・・・、と思った頃に、
実はその本ね、高校生の本なのよ。(笑)
と言った。
そしたら娘は、怒りもせずに、
なんだー、道理で難しいな、と思ったよ!
と言っていたけれど、もう後戻りできるところではなかったので、結局読んだ。
そのときも、ハメた。
でも、どこか私は自分の茶目っ気と、娘の真面目さが、なぜか面白いところに折り合うことがおかしかった。
みずがめ座の娘とおうし座の母。
どうも、この娘から学ばせてもらったことは多かったが、私の先生筋の人は、また、学びをくださる方々にみずがめ座が多い。
クールに見えるし、厳しくも見える。
その向こうにある温かさを感じてしまうのかもしれない。
感受性の強い、優しい、公平な子どもだった。
自分の子どもだからこそ、代替の利かぬ立場が重く、いつも緊張して育てていた。
この子の成長は自分に掛かっている。
学校とかそういうことより前の、怖いくらいな人格の基礎。
勉強など、したいときにすればいつでもできる。
それよりも前の人格形成は、この子が一番緊張してきっちりしようと努めていた。
幾分慣れた下の子よりも、ずっとその時その時を大事にしていた。
そんな思いをどこかで明るくオープンにしたかったのだろう。
どこか自分の身をズラして、客観的に自分を見るようなそんな時を、ときどき作っていたように思う。
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