久しぶりのお弁当を作りました。
こんな豪華なお弁当は言うまでもなく、最近、指導に忙しいのはもちろんのこと、ちょっと気に掛かることがあって、あまり家事にいそいそとはなりませんでした。
それに意外に、午前中、仕事に絡んだことも結構出てくるので、その対応をしていた、というのもあります。
とはいえ、銀行に行く暇もなくて、なぜか自宅で済むような、電話とかメールとかで、結構時間が掛かっていました。
どこを削るか・・・?と言えば、どうしても自分の食事などをほかの人の手を借りて・・・、ということになります。
今時そんなことを言っていては成り立たないのですが、自分で作れない日が続くと、ストレスはMAXになります。
開校以来、どれほど人の手を借りてきたことでしょう・・・。
でも、人間には余白が必要で、やはり文章だけは書いてしまう。
というより、文章を書くことで自分を保っているようなところがあります。
今なら、大学受験指導が一番中心を占めて、一方で高校受験で、○○しなければ・・・、となります。
いやいや、生徒さんの成長を見るのはとても嬉しいことなのですけれど。
気に掛かることについては、とにかく自分の気持ちの整理をしようとあれこれ動きました。
とにかくすっきりした気持ちで仕事がしたい。
また、仕事を助けてくれるシステム関係のことだけに、いつも目にするものに絡んでいるので、使っているとき、目にするとき
にちょっとした思いが残ってしまう。
そこで、とにかく解決、というより、スッキリしたくて、動きました。
昨夜、やはり「きのう何食べた?」を少し観ました。
その中で、弁護士史朗さんが、クライアントに、こういう言葉を言っている場面がありました。
「○○さんがお金をもらっても解決しないと思いますよ。お母さまをなくされた経緯をきちんと説明され、そしてしかるべき謝罪の言葉が欲しいのではありませんか・・・?」
「裁判所は、お金を払うように命令できても、謝罪を知ろとは言えないんです。」
そこで原告側は号泣するという場面。
たぶん、心に響いたのでしょう。
本当に人の心をわかった先生だなあ・・・、と思いながら聴いていました。
そうそう、その経緯の細かい説明がほしい。
お医者様だから、それは過誤でしょう。
もちろん、そこに悪意があったら、説明はできないし、逃げるしかないわけで。
仮にバッレバレでも、というかバッレバレだから謝れない、というときに、要するにお金、と人は言いたくなるわけで。
もちろん、誠意はお金で・・・、という説もあるけれども。(笑)
人の命や気持ちをお金でしか表現できない側の気持ち、痛いほどわかる気がします。
気持ちはお金で買えないからね・・・。
ある人と、電話で話していました。
〇さんは、信用してもいいと思われます・・・?
という問いに、
いや、私は〇さんは人格的に信頼するに値する人だと思います。
きっと周りも本当はわかっているんだろうね。誰がどういう人か・・・。
そうだと思います。
でないと、こんなことにならないだろうし・・・。
小さな小さなことの積み重ねが、その人という人を形成していくのだろう。
一瞬一瞬の判断。
小さい教室といえども、経営者になったからの学びは果てしなく続きます。
人を見る目が思い切り養われます。
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