主婦という創造性のある仕事
昔初任の学校で、「仕事」ということについて教えられた。
東大の哲学科ご出身で、そのあと医学博士になられた先生がいらした。
その方の論では、人の心の在り方と、病気との関係性が、語られていたし、私の大好きな文学や哲学から教えていただくことができた。
だから、今でも、ああ、風邪かな?くらいの症状なら、すぐ、ああ、あれか・・・?と原因がわかり、すぐに治る。もう十数年、風邪らしい風邪をひいていない。
昔、学校図書館で、本の棚卸の日々の中で、私が腰が痛くて、動けそうになくなったときがあった。
これは仕事にならない、と思われた、その筋の先輩の奥様が、私に思い当たることを話された。
気付くことがあり、ああ、あれか・・・、となった途端、腰の不調はなくなり、めでたく、仕事ができた。
先生が動けないと困る・・・、と思ったの・・・。
と、学園でもわがままで有名だけれど、その求道心たるや素晴らしい奥様は、私の腰の不調を、言葉一つで治してくださった。
不思議なことは、経験しないとわからない。
子どもに何か良くないことが起こったときは、小さければ小さいほど、親の気持ちの表れであることが多い。
気持ちを変えただけで、すぐに子どもはケロッと、その状態から抜ける。
そんなこんなを見聞きしていた私は、疑いようにも疑うことのできない真実に触れてしまった。
だから、今だって、生活の中でその真理をどこかで頼って生きているし、不都合なことがあったとしても、どこか自分の気持ちの持ち方で、なんとかなるだろうと思っている。
しかも、なんとかなる、と思っていれば、そう、自分の力だけでなく、人への期待とかそういうものではなく、それよりも高位の存在の力をどこかで信じていて、なんとかなるさー!と思っているところは、その頃お聴きした考え方が影響しているし、もう身体に沁みついてしまっている。
だからかな、生徒たちが、先生元気!といつも言っているし、なんでそんなにたくさんのことをしているの?と訊かれても、私には、そういうことについての迷いがないからである。
何かある。何か教えてもらっている。これが良いことになる。
いつもそう信じて過ごしている。
ところで、朝ご飯をいつもより工夫して作った。
母が食べやすくて、薄味の母の舌に合うように調理した。
そういうことまで教えていただいた。
主婦の仕事が単調で退屈だなんて、言っている暇などない。
家族が今日はみんな疲れているから、ちょっと塩分多めにお味噌を少したくさん目に入れよう!とか、今日は夫は、あるいは子どもは○○を食べたいのではないか・・・?そんなふとした鮒の当たりのような直感を大事にしていれば、楽しい家族生活が送れる・・・、ということだった。
子どもたちとのやり取り、そして、帰宅した夫の様子から、主婦はいろんなものを受け取り、自分がそれに合わせって、みんなのために動く。創造性豊かな仕事だということである。
私は専業主婦ほど大変な仕事はないと思っている。
合わせ切ってなんぼ。
そこに主婦の醍醐味もあろうというものであろうけれども。
私もそんなこんなを考えながら朝食を用意するのが久しぶりで新鮮だった。
もう身体に沁みついていたけれど、新しい人が一人入って来るだけで、その工夫の仕方は変わり、自分の「仕事」の中身が変わる楽しさがあるのである。
そこで言う、「仕事」というのは、いわゆる職業であるとか、生業のためのものではなくて、もちろんそのことにも絡むけれど、それよりも、日常の些細なところについての心構えというか、こうすれば面白い、というものであった。
そんなこんなを教えていただいていた、私はなんてしあわせだったのだろうと思っている。
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