ピカチュウの思い出


怖ーい怖ーいピカチュウの顔。


もう何十年も付き合ってきたはずのピカチュウだけど、久しぶりに再会したような・・・。

甘いものを求めて立ち寄ったコンビニで、安売りコーナーみたいなところにあったポケモングッズ。


娘が生まれて間もなくの時期に発売されたロールプレイングゲーム、「ポケットモンスター」。

娘はピカチュウと共に生きてきたと言える。

ポケモンジェットに乗って高岡に帰って来て、転校先で、どうしていいかわからない娘が初日に取り出したのは、お絵かき帳だった。

クラスの教室に連れて行って、自分の席に座って、どうすればいいのかわからなかった娘は、そうだ!と思い着いたように、廊下にいる私に向かって、


お絵かきしていい?


と訊いた。


どうぞみんなと仲良くなってくれますように。みんなが娘を受け入れてくれますように!

先生が娘のことを理解してくれますように!


祈るような思いで、学校を後にして自宅に帰り、また、下校時刻になるころ、私は娘を迎えに行った。

その頃には、教務主任の先生も含めて、周りのお友達から、上手やねー、と褒められながら、ポケモンの絵を描いて、嬉しそうにしている娘の姿があった。


良かった。

とりあえず一日目は大丈夫だったよう・・・。

目頭が熱くなった。


札幌でも、一年生の担任の先生にあれこれ注意されていた。

才気煥発だったけれど、感受性が強くて、ある意味芸術家肌で、結構強い娘は、先生の目に留まってしまったようだった。

一学期を過ごして、二学期の10日間を札幌で授業を受けて、丁度本州で2学期が始まる頃に戻ってきた。

暑い夏だった。


甲子園では、横浜高校の松坂投手が、もう負けているのがわかっているような場面なのに、対戦相手は粘り強く延長戦まで持ち越し、松坂投手が、泣いている場面が印象的だった。

最後まであきらめない。

その学校の誇りででもあるように、いつまででも粘っていた対戦校の応援席には、私の馴染みの方々がたくさんいらして、ときにテレビに映っていらした。


段ボールの中で、疲れてテレビを観ていたのを思い出す。


必死で帰って来て、次の日から学校だった。

まだ若かった私は、周りに不思議なことだらけで、戸惑うことばかりだった。

今思えば、全然人間というものがわかっていなかった。

未だによくわからないくらい、一つ一つ経験しなければわからなかったことをその後の時間に経験した。


若かった自分に話してやりたい。

人間って、こういうものなのよ。

いちいち悩まないの。

だいたい。まわりにいい人ばかりいたようね。


きっと、こんな母をもって、娘も苦労したんだろうな。


ある日、娘に言われた。


私も学校でイヤミ言われること、あるよ。

でもね、そういうことって、生きていくには必要なことなんだって思うんだよ。


娘は弱音を吐かなかったけれど、あれこれあったようだった。

私が心配するから、何にも言わなかったけれど。

中学生になったとき、二人してあの時は、○○だったんだろうねえ、と話す始末。

母娘で、何にも気づいていないことが多かった。


ピカチュウが助けてくれたこともあったんだろうな。


息子は幼稚園からずっと転校知らずだった。

大好きなピカチュウのコップ袋をリュックに下げて、幼稚園に通っていた。


娘のバトンのおかげで、ずいぶん洋裁も上達した。

息子はピカチュウの柄の、私が縫ったコートが大好きだった。


ピカチュウは子どもたちをあちこちで、支えてくれていたんじゃないかな。


なあんて、このピカチュウ、あれこれと思い出させてくれた。


でも、こいつ、ちょっとこわくない?

凛々しい、と書いてあったけど、なんだか生意気で偉そうで、こっちをにらんでない?


しっかり仕事しろって?


一生懸命に生徒さんや保護者の方と向き合って、関係性を構築するよう努力するとき、どこかに、あの夏の暑い日を思い出している自分がいる。


どうか、娘がお友達と仲良くできますように。

先生が、娘のことを理解してくださいますように。


と祈るような気持ちでいた、あの日。

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