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クリスマスにおける私の超絶矛盾した気持ち


クリスマスに対しては、あれこれ思い出すことがある。

クリスマスを熱心にお祝いする時期と、そうでもない時期が、どうも人生の中で交互にやってきているようである。

それもとても極端な形で。


若いころは、新卒で働いていた頃は、クリスマスなどお祝いしている暇などなかった。

ちょうど2学期が終わる日だっただろうか?

その後寮の部屋をかたずけたりあれこれして、年末近くに実家に帰っていた。

一寸だけ、と思い、25日の夜遅くに帰ろうとして、チキンを買おうと思ったら、普通のチキンは売り切れていて、スモークチキンを買って帰ったことがあった。

なんとも侘しかったけれど、よくよく考えてみると、ああ、お付き合いしている人はどこかにいるのであった。(笑)

この情熱のなさをどうしよう・・・?

実家に帰り、私はお節料理を作った。

今年も腕を上げはるんやねーと言われたり、男の子しかいない叔母に母が電話でちょっと羨ましがられているのも耳にはさみながら、せめても家庭的なことをしておこうと思っていた。


生活を大事にすることに憧れた。

仕事ばかりしていたから。


子どもたちが生まれて、12月のクリスマスまでの時期は、大切に過ごさなければならない時期となった。

ある年、大学受験組に入れてもらった年、あるお若い先生が、24日、クリスマス・イブ、僕授業入ります!とおっしゃっているのをお聞きして、自分のクリスマス・イブは、チキンを二羽焼いて、ケーキを二つ焼くことになっていることとの対比を思った。

たぶんお昼は娘のお友達を呼んで、夜は息子の野球のお世話になっている方々との食事だったと思う。

大学受験のために頑張っている生徒のことを思いながら、私は私でできることをしていた。


しあわせとはなんだろう?

人のために働けることってとてもしあわせなことだと思う。

働くと言っても、誰かのために食事を作るのだって、帰ってくる家族のために、部屋を過ごしやすくしたり、その時期の季節のものを飾っておくのだって、十分に役立つことである。それもしあわせ。


誰かの役に立つこと。自分が充実していること。

その中身は、その時代によって変わる。


私の場合、周りの人間関係によって、それを実感する。

でも、取り巻く環境や、するべきことが変わっても、変わらず登場人物でいてくださる方って、形を変えたり、関係性も少しずつ変わりながら、続いていくものだと思う。


見守り続けてくださった方々もいらっしゃる。

よく、友人に、あんたにはホンマに何回びっくりさせられてきたかわからない。

ぽわーんとした人だとばかり思っていたら、あんたの勤労意欲にはどれだけびっくりさせられてきたことか・・・。

あなたをこよなく尊敬しているのは、誰が何を言おうと何を思おうと、仕事でも隣近所でも友達でも、との各開拓していくところよ。あんた、真面目やから。

と、ちょっと矛盾しとらんけ?というような発言をしてもらったこともある。(笑)


ある意味人生の中で大事な人と初めて会った、何回目かの記念日を先日迎えた。

どうってことなく、そうだったな、と思い出していた。

若かったな、とも思うけど、その後のことを考えると、そうそう楽しくなくもなかったな、とも思っている。

これからも新たにたくさんの人と出会うだろう。

そんな中で、必ず、どうしてだか続いていく人というのは続いていくものだと思う。

そうなんだな、と思っている。

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