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とんでもなくしあわせなこととしての仕事


ビジネスとしての仕事もあるけど、とにかく忙しくする仕事があるということに喜びを感じる。

私は仕事にしろ家事にしろ楽しいものにしてきた。

だから、仕事が楽しくないのだな、とわかる人に対してわかった瞬間、というか集中していないと感じた瞬間、とんでもなく寂しいし、その人に対しての興味が全くなくなるのを感じて、それまでの信頼していた気持ちに対してどうしようもない気持ちになる。

そんなこと言ったら、芦田愛菜ちゃんに笑われそうだな。

裏切られる、というのは自分の期待があってのことで、そうあってほしいということだ、という意味のことを言っておられたと思う。


ただ、使命感を強く要する仕事は特に、そうでない仕事でも、その人の人生観はわかる。

仕事を一生懸命する人は、仮にスマートに見えなかったとしても、それはしあわせそうで楽しそうで、充実していそうで、私はとっても好ましい。

自宅なり、教室なりに業者さんが入られるときも、対価に対して、というのもあるけれど、そのお客さんが少しでも便利になるように、それからお客さんに喜んでもらいたくて、というように、それが嬉しくてひと工夫してみたり、ちょっとサービスなんてことがあったら、本当に嬉しくなる。

逆に親切だと思っていたのが、業者さん側の都合だと、わかってしまったら、そういうものだとは思っていても、やっぱり悲しくなる。

子どもだとは思うけど、それが人間だと思う。


それぞれに都合もあり、ときに利害も絡む。

でも、できうる限り誠意でありたい。

一応使命感を強く要する仕事のうちだと思う。

できるだけ喜んでもらえるような仕事をしていたいと思う。


また、顧客としても、例えばクライアントとしてもカスタマーとしても、自分になら誠意ある仕事をしてもらえるような顧客になる、という姿勢もあっていいと思う。

この人は誠実な人だから、この人だけは騙せない、というのでもいいと思う。

とりあえず、相手がどういう人か?というのも大事だけれど、それでも顧客満足として、してもらえる人間であれば、相手がどういう人であろうとかまわない、という一面もある。


従兄が高校時代、皆に嫌われる先生に好かれて可愛がってもらっていたという。

大好きな従兄のお兄ちゃんだった。

人柄なのだろうな。

相手を理解しようとする温かさに溢れているお兄ちゃんである。

だからきっと誰の心も溶かしてしまうようなところがあったのだろう。


私は自分によくしてくださる人でも、ときにその人の本質は?と考えてしまうことがある。

そんなこと考えなくても、自分に適正な仕事をしてもらえたら、それで十分なのだと思う。

本当は。


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