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その人物の一貫性ー信用


いろんな面を持っている人がいるにはいるけれど、いろんな面と一貫性とはまた別モノのような気がしている。

私はいろんな面があって面白い・・・、とは言われるけれど、でも、人間性において一貫性はあり過ぎるほどあるだろうとは思う。

たぶん、誰が見ても私という人間は、そうそう姿が変わらないだろうと思う。


最近、この人の中心には何があるのだろう・・・?という話を聞いて疲れていた。

人生の中で、こういう人数人目。

意図も目的も目標もどこにあるのかわからない。

それに、主体性がどこにあるのかわからないので、持続性もない。


話がコロコロ変わる。

どういう風に生きて行きたいのか?ということが明確にわからない。

どこか芯がない感じ。


そこで考えてみたのだけれど、結局この人は、主導権を握りたいのだろう、と思った。

でも、人間は、その立ち位置で、どうしたって主導権を握ることができなくなる時が来る。

それをどう受け入れるか・・・?


ある職場で、新参者のくせに、私は、主導権を握られるのは違うから・・・、と言われて、びっくりしたことがあった。

ただ、生徒の指導を自分の範囲で一生懸命にやっていただけだったから。

そして、わりと周りと仲良く楽しくワイワイやっていただけだったから。


でも、そもそも主導権という言葉を聞いて、びっくりするほどに、私には主導権を握る、という考え方がない。

ただ、先日ある人の表現にあったように、先生は、この塾を、しっかり牛耳っている、と言われたので、主導権をいつの間にか握ってしまっていたから、そういうことを意識してこなかったとも言えるかもしれない。

考えてみたら、その立場の人ができないから、私が仕方なくやったことで、顔をつぶされた、と表現されたことがあったけれど、だったら、その場をどうすればよかったのか?とも思うし、そんな立場、誰が嬉しくて自らやるねん・・・、という立ち位置に会ったこともあった。


でも、ある集合住宅で思った。

若い人を生意気、と表現する同世代の人に対して思ったのは、こんなところで主導権を握ってどうするの?何だったら、生意気でも何でも、しっかりここをまとめてくれたら、私は楽でいいんだけどなあ・・・、と思ってしまった。

そもそも、握りたくもない主導権を握らされて、困ったことの方が多かったということに気づいた。


主導権を握っているけれど、別に握らなくてもいい人と、主導権を握りたくて、握り損ねている人ということになるだろう。


いいじゃん!ちょっとくらい生意気だって。

やってくれるんだったら!

主導権くらい、どうぞ。

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