『源氏物語』ー宇治十帖
今はそうそう読書をしている時間もないのだけれど、ちょっとだけ、例えば病院での待合の時間などには、原田マハ作品を読んだり、あるいはちょっと持ち歩くのが重たいけれど、岩波の日本古典文学大系本の『源氏物語』を読んでいたりする。
待合の時間だけでは遅々として進まず状態のように思われるが、それでも「橋姫」から「椎本」に入った。話はつながっているし、心情理解の細かさになぜか何回目かに唸る。
紫式部は天才である。
誰かが言ったからではなく天才である。
私でもわかる。
そして若いころに読んだときには今ほどには天才だと思えたわけではなった。
むしろ『紫式部日記』を読んで、紫式部が非常に人間的に悩み、宮中の嫉妬めいた人間関係の渦に巻き込まれるのが面白く、またあまりに現代と通じるので、人間というものの変わらなさにおかしいやらおもしろいやらで、呆れる程だった。
罪の子薫が、今自分の実の両親の手紙のやり取りを読み始めたところである。
そして、出家した母を薫が訪ねる場面で、何事もなく誦経している母を垣間見ている。
我が息子にかつての愛を知られる母の気持ちというものはどういうものだろうか?
なんて、その一筋だけでもずいぶんと語れるものである。
若いころの恋愛を息子に知られる。それも大それた罪となる恋愛を。
皇女で、幼い初心だった女三宮を大人にした柏木との愛。
この物語はどこから切り取っても深くて、どこか自分にも(経験はなくとも)、通じるところが必ずある。
人間というものを知るのに、この物語からどれほどのものをもらって来ただろうか?
年を重ねて、ますます違う味わいが出てきている。
初めて出会った高校生の頃から、『源氏』はそのときどきその容貌さえも変えてわたしに迫ってくるようである。
その証拠に、学生時代に大好きだった女人が今はそうそうおもしろい人として感じられず、今では大好きな女人と言えば・・・、状態であるが、それもそろそろいろいろな人へと変わっていきそうである。
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