『キネマの神様』を観てー沢田研二は最高!
受験指導真っ只中の日々だけれど、最近ついしてしまうことは、映画やドラマを観ることである。
どこかで自分を取り戻したくなるのだと思う。
この時期は人の感情を敏感に感じてしまう。
ましてや、いつもとは違う時期で、人の本質がわかりやすい時期でもある。
そんな中で、私自身がそういう面を出してしまってはいけないし、私は私の機嫌を自分で取らなくてはならない。
だから、それは病院に行ったときの待合室での読書だったり、あるいは眠る前、ベッドに入ってからスマホでアマゾンプライムに入っている映画を観たりすることであったりする。
昨日はさっさと休もうと思っていたのだけれど、結局映画を観てしまった。
タイトルが気になっていないわけでもなかったけれど、とりあえず原田マハさんの原作であることから気になっていた。
『キネマの神様』である。
今レビューを読んでみたら結構ひどいことが書いてある。
私は志村けんさんの主演が決まっていたことは知らなくて、ただただ沢田研二の演技だけを見ていた。
私は正直、思想的にどうとかいうことは抜きにして、ただただ若いころのジュリーが好きである。
カッコよくて、完璧主義なくらい演じることを楽しんでいて、歌唱力があって・・・。
他に何があろうとも素敵な人だと思う。
ただ、昨日、誰の意見がどうあってもいいけれど、私は感動したのだ。
夫婦というものに。
ゴウと淑子はとりあえず愛し合っている。
テラシンと結婚していた方がよかった説はわかる。
でもよくないのだ。
夫婦というものはそういうものだ。
相手のどうしようもないところまで愛してしまうのが男女の愛というものだ。
淑子のセリフがないからわからないけれど、というのは嘘で、淑子は絶対にテラシンと一緒になったとしたらという選択はなかったことくらい私にもわかる。
私もゴウが好きである。大好きである。
飲んだくれのギャンブラーで、借金を重ねるゴウ。
昔捨て置いてきた夢のせいで、どこか空虚なゴウ。
描き方が薄いという語り方もできるだろう。
でも、かつての日本映画の監督作品のように、要らぬところはすべて捨て去って、一本の筋だけ残したようないい映画である。
なぜか志村けんさんだったら・・・、という想像に引っ張られているように思えて仕方がない。
沢田研二は、十分にどうしようもないお父ちゃんを演じている。ちゃんと。
私自身が志村さんのことがあまり好きではなかったからそう思えるのかもしれないけれど、あの、どこか品のあるゴウは、沢田研二演じるからのものであると思うのだ。
作品には品格というものがある。
どこか品のいい若き日のゴウを菅田将暉が演じ、相手役に永野芽郁というどこか透明感のある、所詮どっちみちドロドロした感じを出すことのできないカップルで描いていて、いきなり菅田将暉から志村けんというのは相当無理があったと思う。
少なくとも私はジュリーが演じてくれてよかったと思っている。
他にいい縁談もあり、周りの監督も淑子のしあわせを願って、もっといい?縁談をもってくる。
でも、淑子は不幸せなんかではなかったはずである。
お金なんていいの。身体のことを心配しているのよ。
明日血圧の薬持ってきますから・・・。
かつて自分を愛し、現在の自分たちの生活を目の当たりにしているテラシンに対して、これ以上ない惚気である。
みんなに思われ、愛され、何をしても愛想をつかされていないゴウ。
それこそはゴウの人間性のなせる業だと思う。
娘の歩が、自身の息子である勇太に言う場面がある。
お金のことじゃないの。あんたがおじいちゃんのことをそんな風に思っていてくれて嬉しいのよ・・・。
結局、愛想つかしていそうなこと言っていながら、みんなゴウのことを愛しているのではないか?
たくさん借金をこしらえ、ギャンブルと酒しか楽しみがないと言っていながら、自分だってどこかで自分の才能があったことを愛おしみ、そのことが発見されることを待っていたかのように、どこか飄々として見えるゴウ。
サラッと描かれているから、感じられないかもしれないけれど、何も鋭く感動させてくれる映画だけがいい映画というわけでもないだろう。
愛して、一生に苦労することもしあわせということもあるだろう。
苦労なしでも、しあわせでない人もいるはずだ。
この家族、結局しあわせなのだと思う。
おじいちゃんのことを思っている孫。
夫に裏切られて、どうも離婚したらしい娘の歩。
そして、結構気が強く見える歩に対して、煮え切らなくて優柔不断に見える年老いた淑子。
就職に困ったときには元夫を頼ったら?という淑子は、やはり若い世代の人間よりも人生というものを知っているかに思える。
世の中にある、どうしようもない男たちのために不幸せになっている女性がいることに、声を上げられる時代になってきた。
その状態を定義できる言葉もたくさんできて、女性が生きて行きやすくなってきた。
ただ、一方で思うことはある。
絶対に命を落としたり、身体的、肉体的に傷つくことを容認してはならない。
でも、夫婦というのは、いろんなことがあり、互いの弱さを受け入れ、共に乗り越えて言ってこそのものだと思う。
互いに何にもなく、穏やかであるだけが夫婦ではないし、男女ではもっとないと思う。
こういう映画を観ると、自分の中の大いなる矛盾に気付く。
淑子を見ていると、到底不幸せだとは思えないし、それにゴウを愛しているとしか思えない。
この、どうしようもない男を、心の本当に心の底で愛している状態を表現する言葉など、きっと出てこないだろうと思う。
ここにこそ人間の不思議さも、素晴らしさもあると思うのだけれど・・・。
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